ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルサレム王国」の意味・わかりやすい解説
エルサレム王国
エルサレムおうこく
Kingdom of Jerusalem
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第1回十字軍のエルサレム占領(1099年7月15日)直後、シリア、パレスチナに創設されたラテン人国家。西欧型封建制を模したエデッサ伯領、アンティオキア侯領、トリポリ伯領とともに聖地四国を形成し、その宗主国となった。初代君主はフランス人十字軍士ゴドフロア・ド・ブイヨンで聖墓保護者と号し、第2代ボードアン1世以後、各君主は国王と称した。
地中海東岸の主要港市と内陸の城塞(じょうさい)を拠点とし、ベネチア、ジェノバなどの西欧艦隊と、テンプル、聖ヨハネなどの騎士修道会の常駐兵力を中心に、数次の十字軍と協力してイスラム側の包囲態勢に対抗し、2世紀近く中近東植民地を維持した。宗教的には、国内の東方正教会をローマ系の総大司教管下に再編した。文化面では、東西交流に貢献したが、1187年サラディンによってエルサレム市が奪還され、アッコを臨時首府として領土挽回(ばんかい)に努めたすえ、1291年マムルーク朝スルタンのハリールによって滅ぼされた。
[橋口倫介]
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…10~11世紀のイブン・ハウカル,マクディシー,ナーシル・ホスローらの旅行家,地理学者は,この都市の重要性に関する知見を記述したが,そこではムスリム支配下でエルサレムが3宗教の共存する都市としての性格を発展させていたことが示されている。1095年バグダードでの輝かしい地位をなげうったガザーリーがまず赴いたのはエルサレムであり,アクサー・モスクはイスラム思想史に画期をひらく彼の新しい思索の場となったが,そのわずか4年後の99年,同市は十字軍に占領され,エルサレム王国が建設されることになる。 十字軍イデオロギーは,聖地がイスラム教徒によって奪われているという認識に立脚していたが,奪回すべき聖地におしよせた十字軍は,そこに東方教会のキリスト教徒が,アラブとして平和裡に生活していることを発見することになる。…
… 公式十字軍をその戦略的側面から時代区分すると次の4段階となる。(1)初期十字軍 11世紀末~12世紀末,エルサレム王国(1099‐1187)建設期とその攻勢的防衛期。(2)中期十字軍 13世紀前半,占領地の守勢的維持期。…
※「エルサレム王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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