エルサレム王国(読み)エルサレムおうこく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルサレム王国」の意味・わかりやすい解説

エルサレム王国
エルサレムおうこく
Kingdom of Jerusalem

十字軍によってエルサレムに樹立された王国 (1099~1291) 。 11世紀頃,ヨーロッパ・キリスト教徒聖地であるエルサレムにセルジューク・トルコが進出して,巡礼して訪れるキリスト教徒に迫害を加えたので,時の教皇ウルバヌス2世は,1095年クレルモンに宗教会議を開き,聖地回復を宣言した。その要請に応じて,フランスの騎士を中心にした第1次十字軍が 96年に結成されて遠征の途につき,小アジア地方を経て 99年にエルサレムに到着,トルコ軍と激戦して聖地を奪回し,ここにエルサレム王国を建設した。しかし,その後まもなくトルコ人は再び勢いを得て,エルサレム王国の存立危機に瀕したため,第2次十字軍 (1147~49) がこれを救援するため遠征したが失敗して帰国,続いて第3次 (89~92) ,第4次 (1202~04) ,第5次 (18~21) ,第6次 (27~45) ,第7次 (48~68) ,第8次 (68~91) と十字軍の遠征が行われたが,いずれも成功せず,エルサレム王国の再建は失敗に終った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルサレム王国」の意味・わかりやすい解説

エルサレム王国
えるされむおうこく

第1回十字軍のエルサレム占領(1099年7月15日)直後、シリアパレスチナに創設されたラテン人国家。西欧型封建制を模したエデッサ伯領、アンティオキア侯領、トリポリ伯領とともに聖地四国を形成し、その宗主国となった。初代君主はフランス人十字軍士ゴドフロア・ド・ブイヨンで聖墓保護者と号し、第2代ボードアン1世以後、各君主は国王と称した。

 地中海東岸の主要港市と内陸の城塞(じょうさい)を拠点とし、ベネチアジェノバなどの西欧艦隊と、テンプル、聖ヨハネなどの騎士修道会の常駐兵力を中心に、数次の十字軍と協力してイスラム側の包囲態勢に対抗し、2世紀近く中近東植民地を維持した。宗教的には、国内の東方正教会をローマ系の総大司教管下に再編した。文化面では、東西交流に貢献したが、1187年サラディンによってエルサレム市が奪還され、アッコを臨時首府として領土挽回(ばんかい)に努めたすえ、1291年マムルーク朝スルタンのハリールによって滅ぼされた。

[橋口倫介]

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