イメルダマルコス(その他表記)Imelda Romualdez Marcos

現代外国人名録2016 「イメルダマルコス」の解説

イメルダ マルコス
Imelda Romualdez Marcos

職業・肩書
政治家 フィリピン下院議員 フィリピン元大統領夫人

国籍
フィリピン

生年月日
1929年7月2日

出生地
マニラ

学歴
セントポール短期大学教育学部,フィリピン女子大学声楽科

経歴
レイテ島のスペイン系財閥の旧家出身。1954年ミス・マニラとなり、同年5月フィリピン下院議員だったマルコスと結婚。’65年11月夫の大統領就任とともに政界に進出し、以後各国を歴訪、“イメルダ外交”を展開。’75〜86年マニラ首都圏知事、’78〜79年、’84〜86年居住環境相。’82年大統領が職務を遂行できない場合代行する最高評議会委員に任命され、マルコス大統領の後継者と目されていたが、アキノ暗殺事件後の’83年11月22日同委員を辞任。’86年2月22日二月革命発生、25日マルコス大統領が辞任、夫とともにフィリピンを脱出ハワイ亡命。のち、米連邦陪審(ニューヨーク)から不正蓄財、詐欺罪で起訴されたが’90年7月無罪判決。この間’89年9月28日夫はハワイで客死。’91年7月フィリピン政府が一家の帰国を許可したため、同年11月5年8ケ月ぶりに帰国した。’92年5月の大統領選に出馬するが落選。’95年〜2001年下院議員。’98年1月、’84年マニラ首都圏知事当時の汚職疑惑で最高裁から禁固9〜12年の有罪判決が下されたが、10月再審では証拠不十分による逆転無罪が下された。政府より不正蓄財などで民事刑事あわせて約900件の訴訟を起こされているが証拠不十分で勝ち続けている。’99年マルコス独裁政権下で拷問などの人権侵害を受けた被害者や遺族らに総額180億円の損害賠償を支払うことに合意。2006年アクセサリーやバッグのブランド“イメルダ・コレクション”を立ち上げる。2010年5月夫の出身地ルソン島北イロコス州選挙区から出馬し、80%の得票率で12年ぶりに下院議員に返り咲く。長女アイミーは同州知事に、長男フェルディナンド・ジュニアも上院議員に当選し、一家で初めて全国区を制した。2013年下院議員再選。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「イメルダマルコス」の解説

イメルダ マルコス
Imelda Marcos


1929.7.2 -
フィリピンの政治家。
元・マニラ首都圏知事,元・居住環境大臣。
マニラ生まれ。
フィリピン前大統領フェルディナンド・マルコスの妻。レイテ島の名門、ロムアルデス家の出身。1954年マルコスと結婚。20年間にわたるマルコス政権ファーストレディーとして、大統領を補佐するだけでなく、’75年マニラ首都圏知事、’78年居住環境相を務めた政界の実力者。又共産圏中近東の諸国との外交問題でも活躍。’86年の大統領選後、一族でハワイに亡命。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「イメルダマルコス」の解説

イメルダ マルコス

生年月日:1929年7月2日
フィリピンの下院議員,元大統領夫人

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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