ラバン(読み)らばん(英語表記)Rudolf von Laban

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラバン」の意味・わかりやすい解説

ラバン
Laban, Rudolf von

[生]1879.12.15. ポジョニー(現ブラチスラバ)
[没]1958.7.1. ウェイブリッジ
オーストリアハンガリー生れの舞踊理論家。本名 Rudolf Laban de Varaljas。ノイエ・タンツ (モダン・ダンス) の理論的主導者で,舞踊譜ラバノテーションの創案者。初め踊り手として活躍したが,パリで一時建築を学び,映画・演劇絵画にも関心を寄せ,レビュー・グループを率いて北アフリカで当地の舞踊を学んだ。 1930年ベルリン国立歌劇場のディレクター就任。舞踊を時間芸術ではなく空間芸術としてとらえ,科学的に身体運動を分析し,その形式と方法論を確立,群舞の作品を多く作った。 M.ウィグマン,K.ヨースら多くのドイツ・モダン・ダンスの俊英を育てた。第2次世界大戦中ナチスに追われてイギリスに移住し,工場労働者に作業効率を高める方法などを教えた。主著『舞踊家の世界』 Die Welt des Tänzers (1920) ,"Principles of Dance and Movement Notation" (56) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラバン」の意味・わかりやすい解説

ラバン
らばん
Rudolf von Laban
(1879―1958)

ドイツの舞踊振付者。ブラチスラバ(スロバキアの都市。当時はオーストリア・ハンガリー帝国)に生まれる。舞踊家としてパリなどで活躍後、1910年ミュンヘンで舞踊学校を開き、第一次世界大戦中チューリヒでスタジオを開設、30年にはベルリン国立劇場の芸術監督となった。ベルリン・オリンピックのマス・ゲームなども創作したが、第二次大戦中はナチスを嫌いイギリスに亡命晩年は舞踊教育に貢献した。ドイツ・モダン・ダンスの父といわれ群舞の創作に才能を発揮し、『ドン・ファン』『アガメムノン』などを振り付けた。また舞踊思想家、教育者として『舞踊家の世界』(1920)、『振付術』(1926)、『舞踊のための人生』(1935)、『近代教育舞踊』(1948)などを出版。彼は舞踊を、動き、リズム、方向性の三要素からなるものとし、動きは魂と舞踊家の身体感覚を通して生まれ、空間的緊張から空間の律動的組織化が行われると主張した。ラバンの考案した舞踊譜はその後ラバノテーションLabanotationの名で実用化されている。

市川 雅]

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