ウシンスキー(読み)うしんすきー(英語表記)Константин Дмитриевич Ушинский/Konstantin Dmitrievich Ushinskiy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウシンスキー」の意味・わかりやすい解説

ウシンスキー
うしんすきー
Константин Дмитриевич Ушинский/Konstantin Dmitrievich Ushinskiy
(1824―1871)

革命前ロシア教育者、教育学者。モスクワ大学法学部卒業後、法律専門学校教師となったが、進歩思想ゆえにその地位を追われ(1849)、ガッチンスキー孤児学院の教師(1854)、学監(1855)、さらに1859年サンクト・ペテルブルグのスモーリヌイ女子学院の学監となった。1862年、農奴解放問題をめぐる社会改革運動の余波スイスに追われ、1867年まで滞在し、この間、各国の教育の比較研究の機会を得た。帰国後、大著『教育の対象としての人間――教育的人間学試論』を完成。そのほか、公教育、労働の教育的意義についての著書や、低学年母国語教科書などを著した。教育理論上、子供の精神能力と才能発達に即しての自発的学習の促進と、民族性を重んずる母国語の教授とを強調して、その後のソ連の教育と教育学とに多大の影響を与えた。

[村井 実]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウシンスキー」の意味・わかりやすい解説

ウシンスキー
Ushinskii, Konstantin Dmitrievich

[生]1824
[没]1870
革命前ロシアの最大の教育思想家。モスクワ大学で法律学を学び,1844年卒業。 46年より教師として活躍,思想上の問題で 62年国外追放,67年帰国し,社会運動の高揚背景に「教育の国民性」の立場から教育実践,文筆活動に活躍。『教育対象としての人間』その他の著作がある。ロシアの教育学,国民学校の父と称されている。

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