改訂新版 世界大百科事典 「ウシンスキー」の意味・わかりやすい解説
ウシンスキー
Konstantin Dmitrievich Ushinskii
生没年:1824-70
ロシアの教育者,教育学者。ロシア国民学校の父とよばれる。彼の作った教科書《子どもの世界》(1861)や《母語》(1864)の中の一部作品が,現在でもロシアの子どもたちに読まれている。1844年モスクワ大学法学部を卒業。法律専門学校,ガッチンスキー孤児学院,スモーリヌイ女学院の教師,《国民教育省雑誌》の編集者などを歴任。欧米諸国の教育理論を批判的に摂取しつつ,心理学,生理学,哲学を科学的基礎として人間を全面的に把握しようとする独自の教育学体系をうちたてた。教育における国民性の原理を唱え,公教育は国民自身の手によって作りだされる国民的なものでなければならないことを主張した。主著《教育の対象としての人間--教育的人間学試論》(1868-70)は,教授・訓育過程の科学的基礎づけを行ったもので,教育心理学の古典である。《教育的人間学》および《ウシンスキー教育学全集》全6巻の邦訳がある。
執筆者:柴田 義松
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報