ウス場所(読み)うすばしよ

日本歴史地名大系 「ウス場所」の解説

ウス場所
うすばしよ

現在の有珠うす湾を中心に開かれた近世の場所(持場)名。一六一三年(慶長一八年)松前藩主松前慶広がウス善光寺を再建したといわれ(新羅之記録)、その頃には開設されていたという(伊達町史)。天保郷帳に「ウス持場之内 ウス」とある。往古の境界は、西側はウコソンコウシ(現在の北有珠町付近)をもってアブタ場所に、東側はヘケレヲタ川(現室蘭市陣屋町付近)をもってヱトモ場所に接していたが、一八〇〇―一八一〇年代にモロラン会所(現室蘭市崎守町)が新設されてから、チマイヘツ川(現在の伊達市・室蘭市境のチマイベツ川)をもってモロラン場所に接していた(場所境調書)。近世末期のウス場所絵図面(東北大学附属図書館狩野文庫蔵)には、アブタ場所境からモロラン場所境までのウス場所海岸部の詳細な景観が描かれており、当時の会所や寺社の位置、往還のルートなどが判明する。「津軽一統志」に「うす」「おさるへつ」「ちはいへつ」「鷹小屋」とみえ、鷹小屋までの四ヵ所は浅利猪之丞の商場で、「狄おとなナツヤシヤイン」の持分とある。一七三九年(元文四年)頃には「臼」は松前町奉行新井田五郎左衛門の預地で、鯡数子・昆布・干鱈・膃肭臍煎海鼠・イタラ貝などを産し、運上金は一ヵ年四〇両くらい、蝦夷地で一番の湊をもち、「臼ノ善光寺」という「阿弥堂」(三間×四間)がある(蝦夷商賈聞書)。一七八〇年代後半の状況を記した「蝦夷草紙別録」によると「ウス場所」は新井田浅次郎の給地で、運上金七〇両、場所請負人は箱館の浜屋兵右衛門であった。当時の運上屋は一戸(蝦夷拾遺)。九一年(寛政三年)の「東蝦夷地道中記」によれば、ウス場所は細見磯右衛門の給地で、請負人は箱館の覚左衛門、ウスに運上屋があり、ヲサルベツ、ツバイベツの家数は二軒ほどであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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