ロシア生れの日本学者。自ら英利世夫と称した。富裕な商人の家庭に生まれ,ベルリン大学に在籍したのち,1908年から6年間東京帝国大学国文科で学び,夏目漱石や小宮豊隆と親交を結ぶ。帰国後ペトログラード大学で日本語の講師となるが,ロシア革命に際会して20年フィンランドに脱出する。革命政権下での苦難にみちた体験は日本語で書いた《赤露の人質日記》(1921)に詳しい。21年パリにおもむき,31年フランスに帰化する。この間雑誌《日本と極東》の編集に従事して,谷崎潤一郎の《刺青》や志賀直哉の《范の犯罪》を翻訳するなど,日本紹介を活発に行った。32年アメリカに渡ってハーバード大学で日本語のほか日本の歴史と文学を講じて,E.ライシャワーをはじめ多くの日本研究者を養成し,アメリカにおける本格的な日本・中国研究の基礎をきずいた。34年の創設以来56年までハーバード・イエンチン研究所の所長をつとめた。
執筆者:中村 喜和
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…同様に東洋語学者N.A.ネフスキーはアイヌ語,琉球語の研究に従事した。東大国文科に学んだS.G.エリセーエフは,一時ペトログラード大学の教壇に立ったが,革命後亡命し,フランスとアメリカ合衆国で多数の日本研究者を育てた。他方,文学,言語学から歴史までの広い範囲にわたって活躍したN.I.コンラッドは,ソビエト期の日本研究者の養成に大きな役割を果たした。…
※「エリセーエフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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