オスティア(読み)おすてぃあ(英語表記)Ostia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オスティア」の意味・わかりやすい解説

オスティア
おすてぃあ
Ostia

イタリア、テベレ川(古称ティベリス川)河口にあった古代ローマ都市。港として建設されたが、現在は海岸線の移動により、やや内陸に入った所に遺跡がある。伝説によれば、英雄アイネイアス上陸の地とも、古ローマの王アンクス・マルキウスが塩を得る目的でつくったともいうが、実際は紀元前4世紀後半、海岸線防衛のために植民市として建設されたもの。語源は「河口」を意味するオスティウムostium。ポエニ戦争中はローマの軍港として機能したが、ローマの地中海制覇後はローマへの物資輸入港となり、穀物奢侈(しゃし)品が多量に荷揚げされた。ローマ風都市として発展し、ローマ貴族の別荘や物資取引所、商店、神殿、娯楽施設、一般民のアパートが建ち並んだ。ギリシアオリエントの宗教・文化の受け入れ口ともなり、ローマにとっては外国系のイシスセラピス、大地母神、ミトラス、キリストなどの神殿・教会が数多くつくられた。取引所や兵士営舎などの床モザイク、壁画にもみるべきものがある。前1世紀ローマの政治家スラが港湾設備を整えたが、風波を受けて入港することがむずかしく、土砂堆積(たいせき)もあって、帝政期になるとクラウディウストラヤヌスの両帝は2キロメートルほど北西に新しい港を建設した。そのため最大時人口10万を超えたオスティアも3、4世紀には急速に衰え、やがて放棄された。1909年から本格的に発掘され、近郊墓地も調査され、現在は街路が完全に掘り出されて大規模な遺跡公園となっており、ローマ時代の日常生活を知るうえではポンペイと並んで貴重な資料を提供している。

[松本宣郎]

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