トラヤヌス(英語表記)Marcus Ulpius Trajanus

デジタル大辞泉 「トラヤヌス」の意味・読み・例文・類語

トラヤヌス(Marcus Ulpius Trajanus)

[53~117]古代ローマ皇帝。在位98~117。五賢帝の一人。元老院と協調して内政を安定させるとともに、対外進出をはかってアルメニアアッシリアメソポタミアなどを征服、帝国の版図を最大にした。

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精選版 日本国語大辞典 「トラヤヌス」の意味・読み・例文・類語

トラヤヌス

  1. ( Marcus Ulpius Trajanus マルクス=ウルピウス━ ) 古代ローマの皇帝(在位九八‐一一七)。五賢帝の一人。ヒスパニアスペイン)の出身。元老院と協調し、ダキア・アルメニア・アラビア・メソポタミア地方を平定。在位中に、ローマ帝国の版図は最大のものとなった。(五三‐一一七

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改訂新版 世界大百科事典 「トラヤヌス」の意味・わかりやすい解説

トラヤヌス
Marcus Ulpius Trajanus
生没年:53ころ-117

ローマ皇帝。在位98-117年。ヒスパニア(スペイン)のローマ植民市イタリカ出身。優秀な軍人で,東方ゲルマニアで軍功をたてた後,97年上ゲルマニア総督となり,その在任中ネルウァ帝の養子かつ後継者に指名され,98年ネルウァの死後,最初の属州出身の皇帝として即位した。彼は軍隊に人気が高く,小プリニウスなどの有能な人材を登用し,また元老院を尊重する姿勢をとり,元老院から〈オプティムス・プリンケプスoptimus princeps〉(〈最善の元首〉の意)の称号を得た。一方,人民には保護者として臨み,穀物の無料配給などの救貧制度を拡充し,また属州の負担を軽減した。さらに道路や港湾の整備などの公共事業も積極的に行った。対外政策ではアウグストゥス帝以来の守勢から積極的進出策に転換し,彼の時代に帝国の版図は最大となった。まず101-102年,105-106年の2度にわたる戦争によりダキアをローマの属州としたが,特に同地の金鉱と岩塩鉱は帝国の財政を潤した。この戦争のようすはローマ市に現存する〈トラヤヌスの円柱〉の浮彫に描かれている。

 東方では106年アラビア・ペトラエを併合して属州とし,紅海沿岸からシリア海岸までの隊商路を確保した。さらに帝国の領土をティグリス河岸にまで拡大する計画を立て,113年から東方への大遠征に着手した。まずパルティアと交戦してアルメニアと北メソポタミアを属州とし,続いてパルティアの首都クテシフォンを占領,さらにティグリス川を下ってペルシア湾にまで達した。しかし,まもなくパルティアの反抗と,キレナイカエジプトなど各地のユダヤ人の反乱が起こり,トラヤヌスは東方征服をあきらめてローマへの帰途についたが,途中キリキアで病死した。そしてこの壮図も彼の後を継いだハドリアヌスがアルメニアとメソポタミアを放棄することによって終りを告げた。ネルウァ,トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウスマルクス・アウレリウスと続く時代は,ローマ帝国が最も繁栄した黄金時代で,五賢帝時代(96-180)と呼ばれる。
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百科事典マイペディア 「トラヤヌス」の意味・わかりやすい解説

トラヤヌス

ローマ皇帝(在位98年―117年)。五賢帝の一人。スペイン生れでネルウァの養子。元老院と協調し,対外的には積極政策をとり,自らダキア,アルメニア,メソポタミアを征服したがその帰途で病死。その治世にローマ帝国の版図は最大となった。
→関連項目アポロドロスダキアチビタベッキアティムガードトラヤヌスの円柱ハドリアヌスブスラプリニウス[小]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トラヤヌス」の意味・わかりやすい解説

トラヤヌス
Traianus, Marcus Ulpius

[生]53. イタリカ
[没]117.8.8/9. キリキア
ローマ皇帝 (在位 98~117) 。五賢帝の一人。ヒスパニアの出身。 88~89年ライン地方のサツルニヌスの乱を討ってドミチアヌス帝に認められ,次帝ネルウァの登位後,上ゲルマニア総督となり,97年ローマに近衛兵の反乱が起ったとき,ネルウァの養子としてその後継者となった。即位後は穏健な政治を行い,元老院を尊重,政策を諮問し,自身国家のしもべとして人民にも寛大であろうとした。ローマに大建築物を造営,競技を開催し,荒地開拓,港湾建設を行なった。キリスト教徒に対しては過度の弾圧を禁じた。元老院は彼にオプチムス (最良者) の称号を与えたが 114年まで固辞し続けた。対外政策も積極的で,ダキアを属州としアラビア,パルティア,ドナウを征討し,ブリタニアから黒海にいたる北部国境を安定させ,ローマ帝国の最大版図を現出させた。 113~117年パルティアを討ち,アルメニア,北メソポタミアを属州とし,パルティアの主都クテシフォンを陥れチグリス川を下ってペルシア湾に達したが,征服したばかりのパルティアなどの反乱およびキレナイカからエジプト,さらにキプロスアジアまで広がったユダヤ人の大反乱にあった。一時は戦線を回復したものの重病にかかり,東方地域の管理をハドリアヌスにゆだねた。ローマへの帰途陣没した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「トラヤヌス」の解説

トラヤヌス
Marcus Ulpius Trajanus

53~117(在位98~117)

ローマ皇帝。ヒスパニアの出身。軍職を歴任し,ネルウァ帝の養子となり,帝位を継ぐ。五賢帝のうちの第2番目にあたり,元老院と協調して統治を安定させた。対外的には積極的な進出を図り,ダキアを征服して,ローマ市のフォルムに記念柱を建てて,その勝利を祝った。また帝国の東方に遠征したほか,南方にも進出した。ローマ帝国の領土が最も大きく広げられたのは,帝のときである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トラヤヌス」の意味・わかりやすい解説

トラヤヌス
とらやぬす
Marcus Ulpius Trai(j)anus
(53―117)

ローマ皇帝(在位98~117)。五賢帝の二番目。スペインの都市イタリカの貴族層の家に生まれる。執政官、上ゲルマニア知事などを歴任、97年ネルウァ帝の養子とされ、翌年同帝が死ぬと、属州出身者として初めて皇帝となる。大規模な遠征を何度か行い、アラビア・ペトラエア、ダキア、アルメニア、メソポタミアなどを併合し、彼の時代にローマ帝国の領土は最大となった。内政面では、住民の負担を軽減するとともに、ローマ市の市民への多額の贈与や、イタリア諸都市の貧民の子弟扶養のために基金の贈与などを行い、またローマ市内や属州で多くの土木工事を起こすなど、社会政策に意を用いた。統治にあたっては、あからさまな専制政治を避け、「至高の元首」という称号を受けたが、実際には皇帝への権力集中が進んだ。117年対パルティア遠征からの帰途、小アジアのセリヌスで死亡した。

[坂口 明]

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旺文社世界史事典 三訂版 「トラヤヌス」の解説

トラヤヌス
Marcus Ulpius Crinitus Trajanus

53〜117
古代ローマの皇帝(在位98〜117)。五賢帝のひとり
ダキア・アルメニア・メソポタミアなどを征服して,ローマ帝国の最大版図を実現。内政にもすぐれ,多くの土木建設事業を行うなど,元老院から「最善の君主」の称号を得た。

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世界大百科事典(旧版)内のトラヤヌスの言及

【五賢帝】より

…以後,皇帝は最善の人が統治者たるべきであるとするストア哲学の考えに従って後継者を選び,その者を養子とした。トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスと続く治世には,元老院との協調を旨とし属州行政も整備されて,〈パクス・ローマーナ(ローマの平和)〉と呼ばれる繁栄期が訪れた。啓蒙主義時代の歴史家ギボンは,五賢帝の時代を人類史上最も幸福なる時代と語っているが,近年の歴史研究の教えるところでは,肥大化する官僚・軍事機構の財政的負担が,地方都市の有産者層の財力によってかろうじて支えられることのできた時期であり,しだいに政治,経済,社会の諸問題が顕在化してきた時代と言える。…

【ダキア】より

…ローマ軍の侵略に,王デケバルスDecebalusは頑強な抵抗ののち敗れ,106年ダキアはローマの属州となった。トラヤヌス帝はローマ市に戦勝記念柱を建て,戦争の状況を浮彫にきざんだ。ローマは北東国境の防衛拠点ダキアに4万の軍隊を配備し,都市をつくってローマ人植民を送りこみ,ラテン語を流通させるなどローマ化をはかり,ローマ人とダキア人との同化も進んだ。…

【パルティア】より

…治世末に諸王子間に王位継承の争いが起こり,以後2人ないし3人の王が分立する長い内乱時代(77か78‐147)に入った。その間にトラヤヌスのパルティア遠征(113‐117)が行われ,セレウキアと首都クテシフォンがローマ軍に占領された。2世紀後半にもセレウキアとクテシフォンは2度にわたってローマ軍の攻略を受けた。…

【ローマ】より

… そのあと老齢のネルウァが元老院に推されて帝位に就いた。この登極の経緯から彼は軍隊の統制に難渋したため,後継帝として兵士出身のトラヤヌスを指名し,養子として採用した。トラヤヌスも,続く3人の皇帝も息子がなかったため,後継帝をあらかじめ指名して養子としたので,ネルウァ(在位96‐98),トラヤヌス(在位98‐117),ハドリアヌス(在位117‐138),アントニヌス・ピウス(在位138‐161),マルクス・アウレリウス(在位161‐180)の5代の養子皇帝時代が続いた。…

※「トラヤヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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