オフブロードウエー(読み)おふぶろーどうぇー(その他表記)Off-Broadway

デジタル大辞泉 「オフブロードウエー」の意味・読み・例文・類語

オフ‐ブロードウエー(off Broadway)

ブロードウエーの大劇場で演じられる商業演劇に対抗して、ニューヨーク小劇場で演じられる前衛的演劇OB

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オフブロードウエー」の意味・わかりやすい解説

オフ・ブロードウェー
おふぶろーどうぇー
Off-Broadway

1950年代初めから1960年代初頭にかけて、アメリカ演劇中枢に位置するブロードウェー演劇の商業化と、資本によって条件づけられるその芸術性に反対して繰り広げられた演劇運動、ならびにその舞台となった客席数100から299の規模の小劇場群をさす。小劇場そのものは20世紀初めから存在していたが、サークル・イン・ザ・スクエア劇団Circle in the Squareが、ブロードウェー公演に失敗したテネシー・ウィリアムズの『夏と煙』(1948)の再演を、1952年に成功させたことが運動のきっかけとなった。この運動に明確な演劇理念があったわけではないが、初演時に評価の低かった作品、無名作家の作品、海外の実験的作品などを、低予算で無名の若手俳優を起用して上演するところに特徴があった。この運動のなかから登場した作家や俳優は数多く、作家としてはエドワード・オールビー、俳優としてはダスティン・ホフマンDustin Hoffman(1937― )などが名高い。現在は1950年代にあったようなブロードウェー演劇との対立はないが、依然としてニューヨーク・シェークスピア・フェスティバルNew York Shakespeare Festival(パブリック・シアターPublic Theatre)やニューヨーク・シアター・ワークショップNew York Theatre Workshop、マンハッタン・シアター・クラブManhattan Theatre Clubやラウンドアバウト・シアターRoundabout Theatreなどが中核となって、芸術性の高い作品を制作し続けている。

鳴海四郎・一ノ瀬和夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「オフブロードウエー」の意味・わかりやすい解説

オフ・ブロードウェー
Off-Broadway

ニューヨークの演劇のうち,ブロードウェーの商業演劇以外のものの総称。定員300名以下という,ブロードウェーの大劇場よりはるかに小さい劇場が活動の場であることが多く,製作費や入場料もブロードウェーより低い。オフ・ブロードウェーの劇場はマンハッタン区全域に散在するが,特にグリニチ・ビレッジに多い。上演される作品は無名の作家のもの,有名作家の実験的なもの,ブロードウェーでは上演されにくい古典や外国の名作が中心で,演出者や俳優もブロードウェーの場合に比べれば有名でないことが多い。ただし,大スターが前衛的な作品を選んで,安い出演料でオフ・ブロードウェーの劇場に登場することも時にはある。オフ・ブロードウェー演劇は1920年代にはすでにあったが,本格化したのは50年代初めである。ただ,実験的とはいっても,ブロードウェーとの差は程度の差であり,観客の入りによって興行を続けるかどうかを決めるロングラン・システムをとるなど,本質において商業演劇であることには変りはなかった。このために,もっと前衛的な傾向の演劇が60年代初めから盛んになった。これをオフ・オフ・ブロードウェーOff-Off-Broadwayと呼ぶ。最初は,喫茶店,教会,アパートの地下室など,本来は劇場でない場所で,ごく短い期間だけ劇を上演するというかたちをとり,作品もまったく無名の作家のものがほとんどであった。この時期のアメリカ社会全体の動きを反映して,ベトナム戦争,人種問題,性の解放など,なまなましい題材を扱ったものが多く,芸術的には在来のリアリズムの枠を壊す傾向が目立った。だが社会の変化に伴って,オフ・オフ・ブロードウェー,オフ・ブロードウェーはいずれもかつての熱気を失い,活動は沈滞している。しかし見方を変えれば,以前は単に例外的な現象でしかなかったものが,確実に定着したとも言える。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オフブロードウエー」の意味・わかりやすい解説

オフ・ブロードウェー
Off Broadway

1950年代,冷戦構造に呼応するように保守化し商業主義に支配されたブロードウェー演劇に対抗して,意欲的な実験的演劇の上演を実践したアメリカの演劇運動とその劇場の総称。ブロードウェーからははずれた,グリニッチビレッジ周辺の収容人員 300名以下の小劇場がその舞台となったところからこの名称がある。 T.ウィリアムズの『夏と煙』 (1952) ,E.オニールの『氷人来る』 (56) の再演を成功させたサークル・イン・ザ・スクエアや,『コネクション』 (59) で麻薬患者の世界を描いて衝撃を与えたリビング・シアター,J.パップが率いたニューヨーク・シェークスピア・フェスティバルなどがその中心となった。 60年代以降はオフ・オフ・ブロードウェーの登場を受けてその革新的役割を終え,ブロードウェーへの登竜門的性格を強めた。

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百科事典マイペディア 「オフブロードウエー」の意味・わかりやすい解説

オフ・ブロードウェー

ブロードウェー

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世界大百科事典(旧版)内のオフブロードウエーの言及

【アメリカ演劇】より

…問題はこの2人に匹敵するほどの劇作家がそれ以後は現れていないことで,わずかに50年代末に登場したE.オールビーが挙げられるだけである。オールビーについて重要なのは,オフ・ブロードウェーの出身ということである。ブロードウェーの商業性を批判して,より実験的な仕事をしようとするオフ・ブロードウェーの運動は,すでに第2次大戦前からあったが,この時期に急に活発化した。…

【小劇場】より

…このような実験的な空間から,〈アングラ演劇〉などと呼ばれる一群の新しい演劇が誕生するわけであるが,それは,いわばこの時代の世界的な現象であって,日本でも昭和30年代の中型劇場中心の時代を経て,1960年代には客席数100前後の小劇場(運動)が生まれ,それがアングラ演劇の発生をうながし,またそのような演劇が小劇場という新しい空間を必要とするという似たような過程が現出した。またアメリカのブロードウェーでいえば,興業的な演劇と対立したオフ・ブロードウェーがそれまでの歴史的な小劇場であったが,60年代以降には,さらに実験的な演劇空間としてオフ・オフ・ブロードウェーが生まれ,前衛的な演劇の担い手となった。なお,とくに60年代以降の小劇場運動,アングラ演劇等の流れに関しては,〈前衛劇〉の項もあわせて参照されたい。…

※「オフブロードウエー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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