アメリカの劇作家。1888年10月16日ニューヨーク市に生まれる。両親ともアイルランド系。父が旅回りの人気俳優であったため、一家には夏の別荘以外、定住する家がなく、幼時から寄宿学校に入学。10代なかばで最愛の母がモルヒネ中毒であることを知り、放蕩児(ほうとうじ)の兄からの影響もあって、既成宗教に反発し、スウィンバーンやニーチェなどを愛読する孤独な青春時代を送る。1907年、プリンストン大学を1年で退学後、雑多な仕事につき、船員として南アメリカに渡ったり、ニューヨークの安酒場で酒浸りの日々を送るなど、無頼な放浪を続け、自殺を図ったこともあった。12年、結核治療のため療養所生活を経験、過去を精算し劇作家になる決意を固める。14年、ハーバード大学のベーカー教授のもとで劇作を学び、16年、ヨーロッパ近代劇運動に刺激され、既成商業演劇を排し演劇革新を目ざすプロビンスタウン劇団に参加、『カージフ指して東へ』を発表し注目される。『地平の彼方(かなた)』(1920)でブロードウェーに進出後、ヨーロッパのさまざまな表現形式を応用した問題作を次々と発表、黎明(れいめい)期にあったアメリカ近代劇の確立と発展に貢献する。そのなかには写実心理劇的な『アンナ・クリスティ』(1921)、『楡(にれ)の木陰の欲望』(1924)、表現主義的な『皇帝ジョーンズ』(1920)、『毛猿』(1922)、『すべて神の子には翼がある』(1924)などがある。また微妙な人間心理に分け入るため、写実を超えた「超自然主義」を唱え、仮面の使用、「語られる思考」と名づけられた傍白、分身の登場など、独自の技法を編み出した。題材はストリンドベリの影響もあり、自伝的で、夫婦・親子間の愛憎を好んで取り上げたが、主眼は、神を見失い内的に分裂した現代人が、安住の場を求めて運命と闘い苦悩する姿を描くことにあった。そして、『偉大なる神ブラウン』(1926)では大地の母、『ラザロ笑いき』(1928)ではニーチェ的超人、フロイト心理学の影響が色濃い『奇妙な幕間(まくあい)狂言』(1928)とギリシア悲劇を現代によみがえらせようとした『喪服の似合うエレクトラ』(1931)では諦念(ていねん)、『終わりなき日々』(1934)では愛と許しの信仰に、人間の救済をみいだそうとした。しかし唯一の喜劇『ああ荒野』(1933)以後体力的に衰え、アメリカの歴史を問い直そうとする膨大な連作を構想したが、未完に終わった。
晩年は過去に題材を求めて写実的な作品を手がけ、『氷人来たる』(1946)ではカオスとしての人間世界を同情をもって見つめ、死後発表された自伝劇『夜への長い旅路』(1956)では、親兄弟の絶望的な葛藤(かっとう)のなかに、現代世界における悲痛な人間状況への深い洞察をうかがわせた。遺作『日陰者に照る月』(1947)では、ロマンス劇的雰囲気のなかで過去への和解と故郷アイルランドの魂への愛惜をのぞかせている。1936年にノーベル文学賞を受賞。53年11月27日ボストンで没した。
[一ノ瀬和夫]
『喜志哲雄他訳『オニール名作集』(1975・白水社)』▽『喜志哲雄訳「日陰者に照る月」(『今日の英米演劇 1』所収・1968・白水社)』
アメリカの劇作家。アメリカ演劇の芸術性を高め,ヨーロッパ演劇の水準に近づけることにもっとも貢献した。アイルランド系の有名な俳優で吝嗇家の父,麻薬中毒の母,放蕩に身をもち崩して若死にした兄などを含む複雑な家庭に育った。1907年プリンストン大学を1年で中退後,船乗りとしてラテン・アメリカなどを転々とする。12年ころ結核におかされ療養生活をおくり,劇作家をこころざす。14-15年ハーバード大学でベーカー教授のもとに演劇を研究したのち,16年スーザン・グラスペルらと〈プロビンスタウン劇団〉を組織し,船乗りの経験をいかした《東方カーディフをめざして》(1916初演)などの一幕物によって劇作生活に入った。当時のアメリカ演劇には珍しいリアリズムの作風は,大いに歓迎された。その後の戯曲には,同じく手堅いリアリズムの手法を用いた《アンナ・クリスティー》(1921初演)や《楡の木陰の欲情》(1924初演)もあるが,他方ではヨーロッパの反リアリズム演劇の方法をいち早くとり入れ,多様な実験を試みた。たとえば《皇帝ジョーンズ》(1920初演)は表現主義美学を基礎として照明や効果音を重視し,主人公の感情を観客が見たり聞いたりできるかたちであらわそうとした。あるいは《偉大なる神ブラウン》(1926初演)では,人物たちが仮面を着けて登場する。また《奇妙な幕間劇》(1928初演)は〈内的独白〉という手段を使い,通常の台詞のほかに,登場人物の心理を伝える傍白を大量に含んでいる。さらに《喪服の似合うエレクトラ》(1931初演)は,ギリシア悲劇の物語をアメリカに移して再解釈しようとしたものである。だがこれらの実験作は今ではおおむね時代おくれで退屈なものに感じられる。これはオニールが同時代のヨーロッパの前衛作家と違って,伝統をもたぬアメリカ演劇界において,正統を確立させることとそれに挑戦することとを一人でやらなければならなかったからである。今日オニールの名声を支えているのは,《氷屋来る》(1939作,1946初演)や《夜への長い旅路》(1941作,1956初演)のような,手法的にはなんら新しくないリアリズム劇である。ことに,自らの家族をモデルにした自伝劇である後者は傑作で,作者の死後に公表され,4度目のピュリッツァー賞を与えられた。また36年にはノーベル文学賞を受賞している。日本でも主題の深刻さや技法の目新しさが受け,第2次大戦前は盛んに上演された。
執筆者:喜志 哲雄
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… 建国当時から20世紀初めまでのアメリカで演じられたものには,イギリスを中心とするヨーロッパの作品と,それらを手本とした類型的なメロドラマや笑劇が多かった。文学的価値をもった戯曲がアメリカで生まれるのを見るためには,1910年代に始まるユージーン・オニールの活動を待たねばならない。彼は伝統のないアメリカ演劇にリアリズムというかたちで正統を打ちたて,次いでヨーロッパの前衛的傾向を意欲的に採り入れ,リアリズムを破壊する前衛作家の役割をも演じた。…
…オドンネル家とともにノルマン人の侵略に,あるいはチューダー朝期イギリスの侵略に抵抗した。16世紀の指導者コン・オニールConn O’Neill(1484ころ‐1559)は,イギリス軍と戦った後,渡英してヘンリー8世に所領を献じ,再授封されてティロン伯となった。息子のシェーン・オニールShane O’Neill(1530‐67)は,コンの庶子でエリザベス1世が相続人と認めたマシューを滅ぼし,イギリス軍との戦いを続け,しだいにアルスター全域を支配,完全な独立を目指したが,アルスターの支配をめぐって長く対立していたオドンネル家の軍隊に敗れ,味方だったマックドンネル家に殺された。…
…アメリカの劇作家E.G.オニールの戯曲。1924年初演。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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