アメリカの劇作家。ワシントン市に生まれ、幼児期に富豪オールビー家の養子となる。その家庭生活は裕福だが愛情に欠け、のちに彼の主題(家庭不信、夫婦の相克など)を方向づけたといわれる。学校生活にもなじめず、大学中退後はニューヨークで転々と職業を変えながら創作を始めた。1959年、現代生活の暴力的な人間関係を描いた一幕劇『動物園物語』がベルリンで初演され注目される。それを契機にニューヨークのオフ・ブロードウェーでも『アメリカの夢』(1961)を含む一幕劇が次々と初演され、アメリカ前衛劇の旗手と目されるに至る。さらに1962年には、処女多幕劇で、荒廃した家庭の実体を描いた代表作『バージニア・ウルフなんかこわくない』でブロードウェーにもデビュー。以後、哲学的な『タイニー・アリス』(1964)、中年男女の挫折(ざせつ)感に揺れる心理や倦怠(けんたい)を描いたピュリッツァー賞受賞の2作『デリケート・バランス』(1966)、『海景』(1975)ほか、リアリズム色の濃い多幕劇や、実験色のより強い一幕劇を精力的に発表、文字どおり1960~1970年代を代表する劇作家となる。その後も精力的に新作を発表したが、以前にまして社会と人間の暗い関係の内面部分深くに描写を進め、そのために甘いヒューマニズム指向が広がるブロードウェーを中心とした演劇界で受けなくなっていた。しかし、1994年にブロードウェーに持ち込まれた『三人の背の高い女性』は三度目のピュリッツァー賞を受賞、人生の深い真実をユーモアと苦悩に包んで描き、人々に暖かく迎え入れられた。なお劇作の一方で彼は、基金を設立して若い未来の劇作家養成のための上演会を主催したり、前衛および実験芸術家の支援を行うなど、教育面にも力を注いできた。
1960年代に出発した当時の彼の新しさは、それまでブロードウェーでは聖域視されてきた問題、すなわちアメリカ的な生活や個人の幸福に対する一般の考え方に、正面からメスを入れ、いわゆるアメリカの夢の虚像を赤裸々に描いた点にある。とくに代表作『バージニア・ウルフなんかこわくない』では家庭の内側の夫婦関係の残酷さや孤独がもたらす荒廃をえぐり、鋭い筆致で文明批評を行った。
[楠原偕子 2018年11月19日]
『鳴海四郎・鴫原真一訳『エドワード・オールビー全集』6巻(1979~1986・早川書房)』▽『現代演劇研究会編『現代演劇 エドワード・オルビー特集』(1980・英潮社)』▽『高島邦子訳『エドワード・オールビーの演劇――モダンアメリカン・ゴシック』(1991・あぽろん社)』
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アメリカの劇作家。《動物園物語》(1959。アメリカ初演は1960)や《アメリカの夢》(1961)など,アメリカ社会の偽善をあばいた一幕劇によって,オフ・ブロードウェーの代表作家となり,ニューイングランドの大学町を舞台にして2組の夫婦の虚飾を容赦なく剝ぎ取った長編劇《バージニア・ウルフなんかこわくない》(1962)の成功により,1960年代のアメリカのもっとも重要な劇作家とみなされるにいたった。その後の作品には,象徴性の強い《小さなアリス》(1964)や《海の風景》(1975),リアリスティックな《微妙な均衡》(1966)や《すべて終り》(1971)などがあり,初期の作品ほど高い評価は受けていないが,簡潔で鋭い台詞と人間の醜悪さを見すえる目とは一貫して認められる。オールビーの作品はアメリカ風の不条理劇とみなされることがあり,多くの模倣者を生んだ。近年は自作の演出者としても活動している。
執筆者:喜志 哲雄
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…2人の作風は対照的で,前者がおおむねアメリカ南部を舞台にして個人の病的心理を描くのに対して,後者は個人を社会構造の中でとらえようとする。問題はこの2人に匹敵するほどの劇作家がそれ以後は現れていないことで,わずかに50年代末に登場したE.オールビーが挙げられるだけである。オールビーについて重要なのは,オフ・ブロードウェーの出身ということである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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