明治五年(一八七二)の太政官布告ではこの服装を絵で示し、男性の一般礼装と定められていたが、服名が記されていない。また、高見沢茂「東京開化繁昌誌」(一八七四)にも、「夫れ藩士は燕尾被(ヱンビヒ)〈わりはおり〉騎袴(むまのり)」と見えるところから、当時まだ「燕尾服」という訳語が定着していなかったと思われる。
男性の夜間第一礼装で,イブニング・ドレス・コートともいう。名称は,後裾が燕の尾を思わせるところからきたもの。17~18世紀にかけてジュストコルと呼ばれる外衣が着用されており,その前身ごろと後裾をカットするようになった。19世紀には日常着からしだいに夜会用の衣服となった。色も多彩で装飾的であったのが,イギリスのダンディ,G.B.ブランメルらの影響で黒,濃紺が中心となった。日本では1872年(明治5)の服制で宮中の男性の第一礼装に定められた。
生地はバラシア,カシミア,ドレス・ウーステッドなどを用い,型は前は短く後は膝まで裾があり,中央にはベンツを切る。前合せは本来ダブルとされているが,実際はシングルに仕立てられ,ボタンの配列にダブルのなごりをとどめている。襟はピークド・ラペル(剣襟)が普通で,繻子織のフェイシング・シルク(拝絹)をかける。ズボンは上着と共生地で,脇の縫い目にブレード(側章)を2本入れる。白のピケか絹の襟つきのチョッキを着用する。シャツは白,胸の部分をかたく糊づけした〈いか胸〉で,襟はウィング・カラー(前折れ)とし,カフスはシングル。ネクタイはいわゆる〈ホワイト・タイ〉と呼ばれる〈白の蝶結び〉で,チョッキと共布のピケのほか,シルクも用いる。このほか,靴は黒エナメル,帽子はシルクハットかオペラハット,白手袋を持つ。
→タキシード →礼装
執筆者:星野 醍醐郎
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男子の着る夜会用第一礼装。英語のスワローテールド・コートswallow tailed coatを直訳した語で、19世紀のなかばにほぼ現在の形に定着した。前部はウエストラインまでの長さであるが、後部は腰を覆って膝(ひざ)の裏あたりまで垂れ、裾(すそ)で二つに割れている。その形がツバメ(燕)を連想させるところからこの名が出た。黒または紺色のドスキン、カシミアなどの布地を使い、脇(わき)縫い目に2本のブレードをつけた共布のズボンと組み合わせる。ベストはピケか絹の白地で、シングルまたはダブルのもの。シャツは白リネンの固く糊(のり)づけした胸飾り付き、襟先の折れた立ち襟のものを用いる。アクセサリーはホワイト・タイ、白キッドあるいはモカの手袋、白いハンカチーフ、黒エナメルの靴などである。帽子を用いる場合には、シルクハットか、オペラハットが正式である。最近の傾向としては礼装にタキシード(略礼服)を用いることが多くなり、燕尾服は特殊な場合に限られるようになった。なお、ウエーターなどが職業服として用いる燕尾服は色、素材ともさまざまである。英語ではテール・コートtail coatのほか、ドレス・コートdress coat、イブニング・フロックevening frock、ナイト・フル・ドレスnight full dressなどともよび、フランス語ではアビ・ド・ソワレhabit de soirée、アビ・ア・クーhabit à queue、アビ・ノアールhabit noirなどの名称がある。
[菅生ふさ代]
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