おもな浪花節の演目(読み)おもななにわぶしのえんもく

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

おもな浪花節の演目
おもななにわぶしのえんもく

*は、別に本項目があることを示す。
安中草三(あんなかそうざ)
 三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう)作の人情噺(ばなし)『後開榛名梅香(おくれざきはるなのうめがか)』の抜き読み(脚色)。主人恒川(つねかわ)半三郎の罪を引きかぶって、安中村に身を隠した草三郎の流転の物語。初期の桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)が得意としたが、3代鼈甲斎虎丸(べっこうさいとらまる)の「千住(せんじゅ)の捕物(とりもの)」のくだりが評判をよんだ。円朝原作『塩原多助一代記』も、東家楽燕(あずまやらくえん)の名演「愛馬(あお)の別れ」の人気により、浪花節の演目として定着した。
一本刀土俵入(いっぽんがたなどひょういり)
 長谷川伸(はせがわしん)の同名の戯曲を浪曲化したもので、女流浪曲師もしばしばこれを口演する。長谷川伸作品は、『瞼(まぶた)の母』『雪の渡り鳥』『沓掛(くつかけ)時次郎』『関の弥太(やた)っぺ』など、数多く浪曲化されている。
唄入り観音経(うたいりかんのんきょう)
 三門博(みかどひろし)が練り上げた独特の演目で、侠盗(きょうとう)木鼠吉五郎(きねずみきちごろう)に救われた奥州白石在の百姓夫婦が、吉五郎の安全を祈って唱える観音経が調子のよい唄のようになる、というコメディ調の人情噺。新内節の節調を取り入れた「遠く灯(あか)りがちらちら見える……」という、マクラの節で人気を博した。
岸壁の母(がんぺきのはは)
 シベリアに抑留された息子を待って、引揚げ船の着く舞鶴(まいづる)へ日参した実在の母親を昭和30年代に浪曲化したもので、天津羽衣(あまつはごろも)、二葉百合子(ふたばゆりこ)など女流浪曲師が競って演題とした。藤田まさと作詞の「母は来ました、今日も来た……」という歌謡曲のヒットで日本中に知られた。
義士伝(ぎしでん)
 講談でも有名であるが、主君の仇(あだ)を討つ『忠臣蔵』四十七士の物語で、「本伝」「銘々伝」「外伝」よりなる。浪花節では、「中山安兵衛の高田馬場駆けつけ」「赤垣源三(げんぞう)の徳利の別れ」「岡野金右衛門(きんえもん)の絵図面取り」など、とくに「銘々伝」を手がける演者が多く、2代吉田奈良丸の「大高源吾(げんご)と宝井其角(たからいきかく)」は「奈良丸くずし」という流行歌謡を生み出した。
国定忠治伝(くにさだちゅうじでん)
 幕末の博打(ばくち)打ち国定忠治の伝。春日井梅鶯(かすがいばいおう)の『赤城(あかぎ)の子守唄(うた)』が映画封切りと同時に発売され、東海林(しょうじ)太郎の主題歌とともにレコードの大ヒットとなった。以来、旧来の「代官所破り」「山形屋の乗込(のりこ)み」「軍鶏籠(とうまる)破り」などに加えて、「信州旅日記」「忠治の娘」などの新作も増え、忠治ものは広沢虎造(とらぞう)や玉川勝太郎の得意芸となった。
小松嵐(こまつあらし)
 原作は渡辺黙禅(もくぜん)の長編小説『勤皇美談小松嵐』。酌婦奉公を拒む美貌(びぼう)の女馬子(まご)お時が、裸にされて責めさいなまれる場面で、「殺さば殺せと馬子の時……」とうたい上げる一節が明治末全国的に流布した。2代東家楽遊(らくゆう)が、新聞連載当時着目し浪曲化したが、ほかにも「時事新報掲載の抜き読みにて……」とマクラの節を始める『生首正太郎(なまくびしょうたろう)』や、『五寸釘寅吉(ごすんくぎとらきち)』『稲妻お玉』など新聞ダネの実話物がある。
紺屋高尾(こんやたかお)
 吉原の名妓(めいぎ)高尾が神田(かんだ)の紺屋職人久蔵に嫁ぐ話で、講談・小芝居などにもなっている。「遊女は客に惚(ほ)れたといい、客は来もせで又来るという」という篠田実(しのだみのる)の吹き込んだ一節の人気で、倒産しかかったレコード会社がすっかり持ち直してしまったという。
佐渡情話(さどじょうわ)
 「佐渡へ佐渡へと草木もなびく」というマクラの詞句が示すように、演者寿々木米若(すずきよねわか)の生地新潟県の民謡と、毎夜たらい舟に乗って恋しい男のもとへ通う娘の悲恋の民話から、ほとんど即興でつくられ、レコードが全国的な大ヒットとなった。
召集令(しょうしゅうれい)
 極貧の小作農夫に召集令がきて、後事を託すあてもなく途方に暮れていると、病妻が自らの命を絶って夫を励ますという、明治新帝国軍美談である。京山若丸が初演であるが、後年の東家楽燕の口演に定評があった。伊丹秀子(いたみひでこ)口演の『杉野兵曹長の妻』も、同じ傾向の美談でヒットした。
壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)
 同名の浄瑠璃義太夫(じょうるりぎだゆう)節を浪花亭綾太郎(なにわていあやたろう)が一席の浪花節にまとめた。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ……」という、愁いのきいたマクラの節が流行し、お里・沢市の夫婦愛の物語として愛好された。
天保水滸伝(てんぽうすいこでん)
 実録本、講談、歌舞伎(かぶき)にもある、笹川繁蔵(ささがわのしげぞう)一家と飯岡助五郎(いいおかのすけごろう)一家の勢力争いの物語。秩父重剛(ちちぶじゅうごう)脚色、その後正岡容(まさおかいるる)脚色でレコード浪曲化、玉川勝太郎が口演してともに好評を博した。国定忠治が登場する「十一屋(じゅういちや)の花会(はながい)」と、平手造酒(ひらてみき)が血を吐き、喧嘩(けんか)場に「行かねばならぬ、行かねばならぬっ」と絶叫する「駆けつけ」に人気がある。
天保六花撰(てんぽうろっかせん)
 2代松林伯円の世話講談をもとに多数の浪花節がつくられ、河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)を主人公にした「上州屋店先」「雲州邸玄関先」など、木村重友(しげとも)・友衛(ともえ)・若衛(わかえ)の十八番として師弟代々人気を博した。
日本の母(にほんのはは)
 ひとり息子を交通事故で失った母が、犯人を前科者にしないよう努力し、ついには養子にして更生させる、という実話もので、作者飯山栄浄が人物も実名のまま歌謡浪曲としてまとめた。浪曲レコードが衰退をたどるなかで昭和40年代に10万枚を超すヒットを生み、演者真山(まやま)一郎も大看板となった。
野狐三次(のぎつねさんじ)
 に組の纏持(まといもち)で、背中一面に千匹狐のいれずみをした仁侠の徒、野狐三次が、親に早く死に別れ、江戸下町の厚い人情にはぐくまれて、気っぷのよい火消鳶(とび)に成長する物語。昭和初期、春日清鶴(かすがせいかく)が幼時を題材に「木っ葉売り三次」を、戦後は東家浦太郎が得意とした。
森の石松(もりのいしまつ)
 もとは講談『清水次郎長伝』の外伝の部分で、子分森の石松が、親分次郎長のかわりに金比羅(こんぴら)参りをする「石松代参」と、それに続く「三十石船」のレコードが爆発的なヒットとなった。なかでも広沢虎造の人気を決定づけた「馬鹿(ばか)は死ななきゃ直らない……」の当て節が有名である。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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