デジタル大辞泉
「笹川繁蔵」の意味・読み・例文・類語
ささがわ‐の‐しげぞう〔ささがは‐しげザウ〕【笹川繁蔵】
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ささがわ‐の‐しげぞうささがはのしげザウ【笹川繁蔵】
- 〘 名詞 〙 江戸後期の博徒。本姓、岩瀬。下総国(千葉県)香取郡の人。利根川沿いの笹川河岸近辺を縄張りとした。講談、浪曲の「天保水滸伝」で知られる。文化七~弘化四年(一八一〇‐四七)
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笹川繁蔵 (ささがわのしげぞう)
江戸後期の博徒。生没年は1810-47(文化7-弘化4)というが,諸説ある。下総国香取郡須賀山村大木戸に生まれる。岩瀬嘉三郎の三男。幼名福松。岩瀬家はしょうゆ,酢の醸造を業とした。長じて一時江戸に出て相撲取りになるが,帰村して常陸芝宿の文吉の子分となり,跡目をついで利根川沿岸の大親分となる。縄張り争いから,俠客平手造酒(みき)を助っ人として飯岡助五郎と〈大利根河原の決闘〉を行い,のち助五郎に暗殺された。講談・浪曲の《天保水滸伝》では善玉として描かれている。
執筆者:森 安彦
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笹川繁蔵
没年:弘化4.7.4(1847.8.14)
生年:文化7(1810)
江戸後期の侠客。本姓は岩瀬氏。岩瀬家は下総国香取郡(千葉県)羽計村で醤油,酢醸造を業とし,名主を勤めたが,父嘉三郎が下総須賀山村の笹川河岸に進出したため,繁蔵は3男としてここに生まれた。兄七左衛門は羽計村名主。天保6(1835)年に婦女誘引の罪で関東取締出役に捕らえられ,村預となるが利根川舟運で栄える笹川河岸で一家を構え,同13年には諏訪明神祭礼の花会を開き,野見宿禰碑を建立した。同15年関東取締出役から繁蔵召し捕りを命ぜられた飯岡助五郎一家と縄張り争いも加わって大利根河原を舞台に争闘を繰り返した。助五郎方に痛手を負わせ,逃亡するが,弘化4(1847)年帰郷したところを助五郎一味のものにねらわれ,7月4日夜暗殺された。両者の子分,助っ人を動員した血闘は「天保水滸伝」と題して3代目宝井馬琴(琴凌)の講談,2代目玉川勝太郎の浪曲を通して一世を風靡した。
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笹川繁蔵
ささがわのしげぞう
(1810―1847)
江戸後期の博徒。講談・浪曲の『天保水滸伝(てんぽうすいこでん)』に登場する。下総(しもうさ)国香取(かとり)郡須賀山(すかやま)村(千葉県香取郡東庄(とうのしょう)町)の生まれ。生家の笹川河岸(かし)付近の縄張りを常州芝宿(しばじゅく)の文吉(ぶんきち)から譲られ一本立ちとなる。飯岡(いいおか)(千葉県旭(あさひ)市飯岡)の助五郎と勢力を張り合い、1844年(弘化1)大利根(おおとね)河原の決闘を経て、1847年暗殺された。飯岡の定慶寺(じょうけいじ)墓地に「笹川繁蔵之首塚」がある。
[藤野泰造]
『今川徳三著『考証幕末侠客伝』(1973・秋田書店)』
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笹川繁蔵【ささがわのしげぞう】
江戸後期の博徒。生没年は1810年―1847年とされるが,諸説ある。下総(しもうさ)国香取郡で醸造業を営む岩瀬家に生まれ,長じて利根川沿岸の大親分となる。平手造酒(ひらてみき)を助っ人として,1844年に飯岡助五郎との縄張り争い〈大利根河原の決闘〉を行い,のち助五郎に暗殺された。講談,浪曲などの《天保水滸伝》に善玉として描かれるが,史実には不明な点が多い。
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笹川繁蔵 ささがわの-しげぞう
1810-1847 江戸時代後期の博徒。
文化7年生まれ。江戸で力士となるが,帰郷して常陸(ひたち)(茨城県)芝宿(しばじゅく)の親分文吉の跡目をつぐ。天保(てんぽう)15年縄張り争いから飯岡(いいおかの)助五郎と大利根河原の決闘となり,弘化(こうか)4年7月4日助五郎の身内に暗殺された。38歳。講談や浪曲の「天保水滸伝(すいこでん)」では善玉としてえがかれる。下総(しもうさ)香取郡須賀山村(千葉県)出身。姓は岩瀬。
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世界大百科事典(旧版)内の笹川繁蔵の言及
【飯岡助五郎】より
…助五郎も網元を正業とし,一方,博徒でありながら[関東取締出役]の“道案内”役として十手を預る“二足わらじ”であった。44年(弘化1)[笹川繁蔵]と縄張りを争い,いわゆる〈大利根河原の血闘〉という大げんかをした。その後,47年繁蔵を殺し,49年には繁蔵の子分勢力(せいりき)富五郎を自殺させ,利根川べりに勢力を張った。…
【東庄[町]】より
…1971年塩害防止のため利根川河口堰がつくられた。《天保水滸伝》で知られる笹川繁蔵の墓や記念館がある。【千葉 立也】。…
【平手造酒】より
…実名は平田深喜という。一説によると,[笹川繁蔵]は平田を[飯岡助五郎]方のスパイと疑い,出入りの直前に刀を取りあげてしまったので,平田はやむをえず,やくざ物の脇差で戦ったが,すぐに鍔元より折れ,11ヵ所の切傷を受け落命したという。37~38歳ごろであった。…
※「笹川繁蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」