人情噺(読み)にんじょうばなし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

落語の一種。落 (おち) のない,筋のある続き話をさすが,最近では人情味のある噺一般についてもいうようになった。享和年間 (1801~04) 初期の2世石井宗叔 (そうしゅく) が開祖。完成者は三遊亭円朝で,『塩原多助』『牡丹燈籠』『文七元結』などの創作がある。滑稽な要素の比重が少いため,高度の話術を必要とし,これをこなせないうちは真打 (しんうち) と称されない風潮があった。

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百科事典マイペディアの解説

落語家の演ずる話芸の一種目。落(おち)(さげ)をつけない続きばなしで,高い芸を必要とするため真打(しんうち)の落語家の演目とされ,三遊亭円朝作の《怪異談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)》や《文七元結(もっとい)》《唐茄子(とうなす)屋》などが名高い。今日では,落のある読切のはなしでもしみじみした人情味をもつもの,たとえば《鰍沢(かじかざわ)》《火事息子》なども人情噺という。
→関連項目古今亭志ん生三遊亭円生林家正蔵

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世界大百科事典 第2版の解説

本来は続物で,《塩原多助一代記》《業平文治漂流奇談(なりひらぷんじひようりゆうきだん)》《名人長二》などのように,落ち(さげ)がなくて,人生や社会を如実にえがく実のある噺をいったが,現在では,《芝浜》《鰍沢(かじかざわ)》《火事息子》《文七元結(ぶんしちもつとい)》などのように,落ちはあっても,人情味のある一席物の噺を人情噺といっている。江戸における続物人情噺のは,文化・文政(1804‐30)ごろに活躍した2代石井宗叔(そうしゆく)であり,また上方で人情噺を始めたのは,享和・文化(1801‐18)ごろの司馬芝叟(しばしそう)(芝屋勝助ともいう)だった。

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大辞林 第三版の解説

落語のうち、滑稽みより世間の人情を話すことに中心を置いた噺。長編が多い。かつては真打の落語家は必ず演じなければならなかった。「塩原多助一代記」「文七元結」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

人情咄(ばなし)とも書く。落語の一ジャンル。落語を内容のうえから分類したもので、落し噺(小咄(こばなし)も含む)に対していう。広義には笑いだけでなく人情の機微をうがった噺のことで、狭義には世話講釈に近い噺をいう。本来、続き噺で、落ち(サゲ)のないものであったが、現在では、落ちがあっても人情味があって、しみじみと聞かせる噺も人情噺という。安永(あんえい)(1772~81)のころ初代石井宗叔(そうしゅく)が長噺を演じ、2代目宗叔が文化・文政期(1804~30)に人情噺を創始したといわれる。上方(かみがた)でも寛政(かんせい)・享和(きょうわ)・文化(1789~1818)のころに芝屋芝叟(しそう)が長噺を演じたが、上方落語には「人情噺」という呼称はない。江戸で人情噺が流行したのは幕末期で、初代古今亭志ん生(ここんていしんしょう)が著名であった。人情噺を完成の域にまで導いたのは明治初期の三遊亭円朝(えんちょう)であったが、昭和の時代まで6代目三遊亭円生(えんしょう)、8代目林家正蔵(はやしやしょうぞう)(彦六(ひころく))がこれをよく継承していた。[関山和夫]

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