お金持ちと貧乏人の生きざま
人もうらやむ大金持ちというのは、いつの時代、どこの国にもいるものです。ただ、故事成語に名を残すほどの大金持ちになると、それぞれ、興味深い人生を送っているようです。
■紀元前五世紀に、「陶朱の富」という故事成語にもなった陶朱公は、実は、越という国で王の補佐役として大きな功績を挙げた范蠡の、引退後の世を忍ぶ仮の姿。政治の世界で活動し続けることに身の危険を感じ、商売へと身を転じたという、クレバーな人物です。
■紀元前三世紀の呂不韋も豪商でしたが、この人は、陶朱公とは逆の生き方。秦という国のうだつのあがらない王子が、ある国に人質となっていたのに出会った彼は、財力をつぎこんでこの王子を秦王にしてしまい、自分は大臣として政治の実権を握ったのです。彼が、その王子に目を付けた際に発した「奇貨居くべし」ということばは、そのまま故事成語となりました。
■政治とお金の関係は複雑なようで、二世紀、後漢王朝の時代の崔烈という人は、大金を投じて大臣の地位を買ったがために、評判を落としてしまいました。この話からは、「銅臭」という故事成語が生まれています。
■一方、故事成語の世界には、貧乏で有名な人物も出てきます。その代表は、孔子の弟子、顔回。紀元前六~五世紀に生きたこの人は、食事をするにも、粗末なお椀と湯飲みが一つずつしかない、というありさま。「一簞の食、一瓢の飲」というその生活をまったく苦にしない性格で、孔子に愛されました。
■同様に、家財道具が一切ない貧しい暮らしを指すのが、「家はただ四壁のみ」。これは、紀元前二世紀の司馬相如という文人が、新婚時代、四方の壁以外には何もない部屋で暮らしていたところから生まれた故事成語です。
■このほか、「赤貧洗うがごとし」は、日本の江戸時代の学者、荻生徂徠のエピソードから。この人は、若いころ、まるで洗い流したように家財道具がない、貧しい生活を送っていたということです。
■莫大な財産を望むわけではありませんが、極端な貧乏も困りますよね。そういう人には、「嚢中自ずから銭あり」という故事成語がお似合い。酒代くらいはなんとかなるさ、という意味合いのこのことばは、八世紀、唐王朝の時代の詩人、賀知章の詩の一句です。
出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報
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