翻訳|cannibalism
飢饉などの極限状態において,あるいは特殊な反社会的,病的な行為として,あるいはまた愛の極限において,人間が人間を食うことがあるということは広く知られている。しかし狭義には,カニバリズム(人肉嗜(し)食,食人習俗)という語は,食人が正常かつ合法的な行為として社会的に認められていたり,一定の状況または条件のもとで食人が義務もしくは権利として規定されたりしている場合,つまり,社会的に容認された慣習としての食人を指すのに用いられる。この意味でのカニバリズムは,人類社会にきわめて広く見られる慣習だと一般に信じられてきた。カニバリズムを報告する資料も無数にある。カニバル(食人者)という語は,コロンブスの報告によって,食人者だとみなされたカリブ族Caribsに由来している。スペイン人の発音の誤りからカリブがカニブとなり,そこからカニバルという語が生じたのである。
異民族から食人者の汚名を与えられなかった民族はいないのではないかと思われるほど,食人者に関するうわさや報告のたぐいは世界中に見られる。ヨーロッパにおけるこの主題の研究史上有名な資料としては,西インド諸島や新大陸に関するコロンブスの報告,ブラジルのトゥピナンバ族に関する報告,コルテスによる征服前後のアステカ族に関する記録,ニュージーランドやタヒチに関するキャプテン・クックの報告などがある。無数にある資料にもとづいて食人をいくつかのタイプに分類することも試みられた。食べられる者の種類にもとづく分類の一例としては,(1)族内食人(自己の集団の成員だけを食べること),(2)族外食人(自己の集団外の者だけを食べること),(3)自食人(自分自身の身体の一部を食べること)がある。行為の動機を基準とする分類としては,(1)食通的食人(人肉を味のよさのために食べること),(2)儀礼的ないし呪術的食人(死者の霊力や性格などを吸収したり,死者と同一化したりするために,死んだ近親や敵などを食べる場合),(3)生き残るための食人(食料不足などの危機的状況のもとで,通常は禁じられている人肉を食べること)等がある。食人の理由としてタンパク質を補給するための慣習だったと主張する研究者もいる。ところが最近の研究によって,食人習俗に関する報告の大部分は資料価値がきわめて低く信憑性に乏しいものであることが明らかになってきた。慣習もしくは文化的制度としての食人の存在を主張する報告で資料批判にたえるものは皆無だという研究者もいるが,信頼できる資料がごく少数ではあるが存在することを認める研究者もいる。結局,今のところ食人の習俗の存在を否定することはできないが,かつて信じられていたほど広く分布していたものでないことは事実のようである。
こうした研究の過程で注目されはじめたのは,ほとんどあらゆる民族が食人者の存在に関する伝承や信念をもっているということである。これは,直接観察にもとづく信頼するに足る報告の希少さと興味深い対照をなしている。そうした伝承や信念はたいてい次のような形をとる。〈われわれは食べないが隣の部族のやつらは食べる〉〈われわれは食べないが妖術者は食べる〉〈われわれは食べないが大昔の祖先たちは食べていた〉等々。要するに,自分たちは食べないが彼らは食べる,というわけである。それでは,彼らとはいったい何者なのか。社会内部の〈彼ら〉としてもっとも広く見られるのは,いわゆる妖術者である。妖術者は,存在自体がいわば悪を放射して他人に災厄をもたらすと考えられている人々であるが,妖術者のイメージでもっとも一般的なのは,彼らが近親相姦を犯し,また人肉を食うということである。このように食人が反社会的,反文化的,反人間的な行為のきわみを象徴するものとされることはほとんど普遍的である。妖術者のイメージが社会の外部に投影されると,〈邪悪にして野蛮な彼ら=異民族〉となる。食人は野蛮のイメージの中核的な構成要素でもあった。たとえば近・現代のヨーロッパ人にとって,裸,乱婚,食人はつねにセットとして野蛮人の象徴であった。人間が人肉を食べる理由についてさまざまなことが言われてきたが,食人が単なる殺人とはまったく異なる感情的反応を引き起こし,特殊な象徴的意義を帯びるのはなぜか,また妖術者や野蛮人が単なる殺人者ではなく,とくに食人者だとされるのはなぜか等,解明されるべき点は多く残っている。
→首狩り
執筆者:阿部 年晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人間が人間を食べる慣習。カニバリズムの語源はカリブ人Caribであるといわれる。ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達したころ、現在のカリブ海の諸島に住んでいたカリブ人が人食い人種として紹介されたためである。飢饉(ききん)や遭難などの危機的極限状況における食人行為や異常嗜好(しこう)としての食人ではなく、慣習としての食人はさまざまな社会について報告されている。また古くは原人段階で食人がなされたとする説もある。
だれを食べるかによって、食人を内食人と外食人に分けることがある。前者は自己が属する集団の成員、たとえば親族や家族を食べる。後者は他集団の者、そのうちでもよくみられるのは敵を食べる食人である。食人の動機、目的としては飢餓のほか、なんらかの特別な力を獲得するためというのが多い。被害者がもつ力や資質を自分のものにするため、とくに脳や心臓を食べる。妖術(ようじゅつ)や邪術の力を得るために食人を行ったり、人間の肉を病気を治す薬として食べる例も多い。人肉は呪(じゅ)的な力をもっていると考えるからである。復讐(ふくしゅう)のために敵の肉を食べたり、のちに復讐を受けないようにするため、殺した人間の肉を食べることもある。また神に対して人身供犠を行い、その肉を食べる宗教儀礼としての食人もある。死者との結び付きを強調するための食人もあり、この場合死者と永遠に一つとなるよう死者の肉を食べる。キリスト教の聖体拝受を象徴的な食人と解することもある。
カニバリズムについてのこれらの従来の解釈のほか、近年、注目される二つの説がある。一つはM・ハーナーやM・ハリスによって提出された説で、タンパク質の不足を補うために食人を行ったと考え、アステカにおける人身供犠と食人をはじめとする例を用いている。もう一つはカニバリズムの存在そのものを疑う説で、W・アレンズは、食人の記録はほとんどが伝聞や間接情報であり、食人を確実に証明する資料はないという。文化人類学者によるフィールドワークでは、現在も食人を行っている社会の報告はないので、食人が実際に存在したかを確かめることは今日ではむずかしい。ただし、1960年ごろニューギニア高地で流行したクールーという病気が食人によって感染するという医学的報告例がある。
食人の慣習の存否は別にして、食人するとされるのは、自己社会から遠く離れた辺境地域、敵対する隣接集団、あるいは自己集団内の妖術師であることが多い。また食人はしばしば近親相姦(そうかん)とともに語られ、両者とも反社会的、反文化的行為の象徴である。この場合、そのような野蛮なことを行う人間を想定することによって、逆に自らの社会、文化とその境界を明確にしようとすると考えることができる。
[板橋作美]
『W・アレンズ著、折島正司訳『人喰いの神話』(1982・岩波書店)』
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…カリブという語はすでに16世紀初頭の文献にも見られ(Caraiba),コロンブスの航海記にもCanibaの名で記されている。食人を表すカニバリズムcannibalismはこの語に由来している。しかしこれらはカリブ海地域に住む原住民という地理的な集団を語っているだけであり,言語集団としてのカリブのほかに島嶼アラワクを含んでいる。…
…動物が自分と同種の動物を食べること。これには少なくとも二つの型がある。一つはなんらかの原因で死んだ仲間の死体を食うものであり,もう一つは積極的に殺して食べるものである。前者が動物食性の動物でかなり一般的にみられる現象であるのに対し,後者はこれを回避するような行動上のメカニズムを進化させている動物が多いこともあって,比較的まれである。積極的な共食いは,ほとんどの場合成体が同種の幼体(ふつうは自分の子ではない)を食べるものであり,コロニーをつくる海鳥類,魚類,昆虫,ライオン,チンパンジーなどで観察されている。…
…カリブという語はすでに16世紀初頭の文献にも見られ(Caraiba),コロンブスの航海記にもCanibaの名で記されている。食人を表すカニバリズムcannibalismはこの語に由来している。しかしこれらはカリブ海地域に住む原住民という地理的な集団を語っているだけであり,言語集団としてのカリブのほかに島嶼アラワクを含んでいる。…
※「カニバリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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