アウストラロピテクス(読み)あうすとらろぴてくす(英語表記)Australopithecus

翻訳|Australopithecus

デジタル大辞泉 「アウストラロピテクス」の意味・読み・例文・類語

アウストラロピテクス(〈ラテン〉Australopithecus)

《南の猿の意》約400万年から100万年前にかけて生息していた初期の人類。1924年、南アフリカでR=ダートにより発見された。頭蓋とうがいの容量はゴリラとほぼ同じで、直立歩行した。オーストラロピテクス。→アウストラロピテクス‐アフリカヌスアウストラロピテクス‐アファレンシスアウストラロピテクス‐セディバ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「アウストラロピテクス」の意味・読み・例文・類語

アウストラロピテクス

  1. 〘 名詞 〙 ( [ラテン語] Australopithecus 南の猿の意 ) 猿人の一種で、世界最古の化石人類。A‐アフリカヌス、A‐プロメテウスおよびプレシアントロプス、トランスバーレンシスの三種が区別される。脳容量はゴリラに近く、歯列の形状は人間に近い。また、骨盤の状況から、直立歩行をしていたと考えられる。一九二四年ベチュアナランド(現ボツワナ共和国)で発見。生存年代は約三百万年以上前から百万年前と推定

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アウストラロピテクス」の意味・わかりやすい解説

アウストラロピテクス
あうすとらろぴてくす
Australopithecus

猿人の段階に属するもっとも初期の化石人類の属名。今日では多数の標本が発見され、幾種にも分けられ、人類進化上の確固たる地位を占めるが、最初の発見は四半世紀無視されてきた歴史をもつ。1924年、南アフリカヨハネスバーグのウィトワーテルスランド大学の解剖学教授R・ダートはベチュアナランド(ボツワナ)のタウングの石灰岩採石場出土の幼年頭骨を入手、これこそヒトと類人猿を結び付けるミッシングリンク(失われた鎖の輪)に違いないと確信し、「アフリカの南のサル」という意味でアウストラロピテクス・アフリカヌスと命名、発表した。しかし、当時の権威たちはこれを素人(しろうと)論にすぎないと否定した。古生物学者R・ブルームはダートの見解を立証するため1930年代後半に南アフリカ各地でたび重なる発掘を行い、多数の同類標本を得た。1945年前後より欧米の学者によって再検討され、アウストラロピテクス属のほかパラントロプス属も設定された。しかし、今日ではこれらは再び同一属にまとめられている。前者は華奢(きゃしゃ)型でアウストラロピテクス・アフリカヌス、後者は頑丈型でアウストラロピテクス・ロブストゥスとよばれる。また、属か種かわからないとして、それぞれ華奢型、頑丈型ということもある。

 1959年、東アフリカタンザニアのオルドワイ渓谷より、東アフリカのルイス・リーキーと妻メアリーがジンジャントロプスボイセイを発見し、続いて翌年、やや離れた地点で、それより一段古い層よりホモ・ハビリスを発掘した。今日前者はアウストラロピテクス・ボイセイとよばれている。後者は前者より古い年代に生存したが、進歩的な特徴をもっているため、ホモ属の祖とされ、アウストラロピテクスと一線を引かれている。リーキー夫妻の息子のリチャード・リーキーらは、東アフリカの大地溝帯内より多数のアウストラロピテクス類の化石を発見している。1979年アメリカのD・C・ジョハンソンは、エチオピアのアファール低地出土、およびタンザニアのラエトリ出土の骨をまとめて、アウストラロピテクス・アファレンシスなる種を提唱、これをもって最原始種となしたが、1995年ケニアのカナポイなどから発見された化石骨はさらに原始的で、今日アウストラロピテクス・アナメンシスとよばれる。

 以上、多種にわたるため、アウストラロピテクス類の特徴を一括して述べることはむずかしいが、比較的新しいものについては次のことがあげられる。

(1)直立姿勢をとっていること。これは、骨盤を形成する寛骨(かんこつ)がいくつも出土しており、類人猿のそれとは違い腸骨翼が広く、上半身を支えるのに適していることから、ただちに理解できる。そのほか頭蓋(とうがい)底の形態や四肢骨からも十分に推察できる。

(2)頭蓋容量は平均が500ミリリットル強で、現生人類のそれの3分の1強にすぎずゴリラとほぼ等しい。

(3)上下顎骨(がくこつ)などのそしゃく器はきわめて強大で、とくにロブストゥスやボイセイではそれが著しい。脳頭蓋の咀嚼筋付着部を広くするために、頭頂部に前後方向に走る矢状稜(りょう)が形成される。

(4)歯は大きく、とくに大小臼歯(きゅうし)が大きいが、臼歯の歯冠は丸味を帯びる。しかし、類人猿と異なり、犬歯が著しく退縮し、牙(きば)とはいえなくなった。また、歯列弓も放物線状になり、類人猿のコの字状と明らかに区別される。また、犬歯が牙をなしている類人猿の場合は側切歯と犬歯の間に歯隙(しげき)ができるが、それもみられない。

 1950年代には、アウストラロピテクスが直立姿勢をとり、直立二足歩行を行うことは了解されたが、彼らが人類であるか、類人猿であるかについては、多くの論議が重ねられた。しかし、ジンジャントロプスの発見とともに出土したきわめて粗雑な礫(れき)石器を、リーキーは引き続き発見されたハビリスの手になるものだと推測した。それ以来、多数の石器が東アフリカを中心とする各地から発見されている。これらはアウストラロピテクス類が使用したと考えられており、自ら人類であることを証明した。その生存年代はさまざまな測定値が出されているが、おおよそ420万年前から約100万年前と考えられている。

[香原志勢]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「アウストラロピテクス」の意味・わかりやすい解説

アウストラロピテクス

最古の化石人類猿人の一部をさす属名。〈南のサル〉の意。オーストラロピテクスとも。1924年南アフリカ,ベチュアナランドのタウングで最初に発見,R.ダートにより紹介された。地質学上洪積世初期に属し,少なくとも175万年以上前に,南および東アフリカで生活していた。狭義のアウストラロピテクスとパラントロプスの2群に分けられる。前者は礫器(れきき)製作者であったが,後者はその証拠を欠く。→ジンジャントロプスプレシアントロプス
→関連項目カニバリズム人類鮮新世メガントロプス

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アウストラロピテクス」の解説

アウストラロピテクス
Australopithecus

アフリカからの出土で知られている約400万~100万年前の化石人類の一群,いわゆる猿人。通常,全7種以上が認められ,アウストラロピテクス属だけでなく,パラントロプス属などに分類されることもある。1924年に南アフリカのタウングで初めて発見されて以来,南アフリカの石灰岩地域と東アフリカ(タンザニア,ケニア,エチオピア)大地溝帯沿いの各遺跡から多くの人類化石が出土している。90年代には中央アフリカのチャドからも発見された。なかでも有名な猿人化石は「ルーシー」のあだ名で知られる320万年前のアウストラロピテクス・アファレンシスの部分骨格標本であろう。これら猿人はサバンナに生息し,堅い食物に適応し,直立2足歩行を行っていた。種差は主に咀嚼(そしゃく)器の発達度合いにみられる。脳の大きさは類人猿なみで,道具使用も類人猿と同等程度であった可能性が高い。300万~200万年前の間に,アウストラロピテクスの一種からホモ属が出現したと考えられている。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「アウストラロピテクス」の解説

アウストラロピテクス

1924年に南アフリカのタウングで発見された初期人類の化石にR.A.ダートがつけた属名。現在ではタウング出土のアウストラロピテクス・アフリカヌスのほかに,ロブストゥス,ボイセイ,アファレンシスなどの種が知られている。日本では猿人と総称される。ヒト科最古の進化段階に属し,鮮新世から更新世初期にかけてアフリカに生息した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android