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南アフリカ共和国の住民を構成する人種の一つ。厳密に言えば人種ではないが,17世紀中葉にケープに入植したオランダ移民と先住民コイ族(ホッテントット)との,のちには東南アジアから移入された奴隷との混血によって生まれた人々の総称。ケープ州に多く住み,1994年の人口は約343万で全人口の8.5%を占める。ほとんどのカラードはキリスト教徒で,公用語である英語,アフリカーンス語を話し,職域では手工業などの熟練・半熟練労働者を占めている。国民党政権誕生後の1956年の投票者分離代表法によって白人議会への参政権を奪われ,64年のカラード代表評議会法によって限られた権限をもつ評議会を通してしか自らの意見を表明できなかった。経済・社会面でもさまざまな人種差別を受けており,特に63年のカラード教育法によって学校教育は白人教育施設と分離された。80年には教育差別に反対してカラードの大規模な抗議行動があり,政府も新しい大統領評議会にカラードを加えて懐柔をはかった。続いて84年9月には,白人,カラード,インド人による人種別三院制議会設置を含む新憲法が発布された。だがこれも最終決定は3院の上に置かれた白人中心の大統領評議会が行っており,カラードやインド人に対して直接的に政策にかかわる道を開いたわけではなかった。この人種別三院制議会への参加・不参加をめぐってカラードは分裂し,前者は労働党(A. ヘンドリクセ党首)として参加,後者はA.ブーサックを中心に,反政府組織である統一民主戦線(UDF)に加わった。議会に参加したヘンドリクセもすぐにボータ大統領と対立した。しかしデ・クラーク政権の対話政策を支持し,民主南アフリカ会議,多党交渉フォーラムにはカラードの代表として参加した。94年4月の制憲議会選挙ではカラードの多くは国民党を支持した。
執筆者:林 晃史
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一般には有色人種のことであるが、南アフリカ共和国では、同国を構成する四つの集団の一つである混血グループをさす。17世紀に同国のケープ地方に入植したオランダ人が、女性が少なかったため、先住民であるコイ人や、その後労働力として移入されたマレー系奴隷と混血してカラードが形成された。同国の全人口4283万5000中384万(8.5%)を占めている(1998推計)。オランダ系白人(ブーア人)が話すアフリカーンス語を話すものが多い。南アフリカ共和国内の白人以外の人種と同様に人種差別を受けていた。経済面では白人と黒人の中間にあって、おもに熟練・半熟練労働者層を形成している。1984年9月、それまでの白人単独支配体制から、白人、カラード、インド系の3集団で立法と行政を担う「三人種体制」に移行し、議員数85名のカラード議会が発足したが、94年アパルトヘイトの廃止に伴い、全人種平等の議会が発足した。
[林 晃史]
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17世紀半ばケープ地方に入植したヨーロッパ人と奴隷との間に生まれた者とその子孫,ならびに東南アジア系移民をさす。アフリカーンス語を話すが,白人ではないとしてアパルトヘイト時代には差別の対象であった。
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…【戸谷 洋】
【住民,社会】
1992年の推計に基づくと,白人は512万で,全人口に占める割合は全体の13%にすぎない。非白人人口のなかでは,アジア人が100万(2.6%),カラード(混血)が335万(8.5%)を数えている。アフリカ人の人口は2988万で,全体の75.9%を占め,白人対黒人の比率は1対6近くになっている。…
※「カラード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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