ガーゲルン(読み)がーげるん(英語表記)Wilhelm Heinrich August Freiherr von Gagern

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガーゲルン」の意味・わかりやすい解説

ガーゲルン
がーげるん
Wilhelm Heinrich August Freiherr von Gagern
(1799―1880)

ドイツの自由主義的政治家。1817年イエナで全ドイツブルシェンシャフト設立に参加したものの、その後ヘッセンの国家官吏となり、1848年の革命では、ドイツ統一問題の解決のために開設されたフランクフルト国民議会議長に選出され、ついで設置された暫定的帝国内閣の首班となった。同議会の審議を通じてプロイセン主導の小ドイツ主義的連邦国家の実現を目ざしたが成功せず、フリードリヒ・ウィルヘルム4世が同議会の提供したドイツ皇帝の地位を拒絶すると退陣した。その後、プロイセンのドイツ政策に失望して考えを改め、1860年代には大ドイツ主義的改革構想を支持した。

[良知 力]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガーゲルン」の意味・わかりやすい解説

ガーゲルン
Gagern, Heinrich, Freiherr von

[生]1799.8.20. バイロイト
[没]1880.5.22. ダルムシュタット
ドイツの政治家。 H.C.ガーゲルンの子。若い頃バイエルンの将校として解放戦争に参加。ハイデルベルク大学法学を修め,ブルシェンシャフトの組織化に尽力。ヘッセン=ダルムシュタットの高級官僚となり,三月革命の際は,フランクフルト国民議会の議長に選ばれ,臨時中央政府をヨハン大公のもとに組織。人民主権論に立ちながら,国制問題ではプロシアの指導する小ドイツ的連邦国家にオーストリアを連合させる案を主張した。革命の挫折後,プロシアの反動化をみて大ドイツ主義に転じたが,ビスマルクの帝国創建は歓迎した。

ガーゲルン
Gagern, Hans Christoph, Reichsfreiherr von

[生]1766.1.25. ウォルムス近郊クラインニーデスハイム
[没]1852.10.22. フランクフルトアムマイン近郊ホルナオ
ドイツの政治家。 1788年以来ナッサウ侯の重臣として,その国土拡大に貢献。 1813年 K.シュタインの推薦でオランニェ=ナッサウ公ウィレムに仕え,主君がネーデルラント連合王国の国王 (→ウィレム1世 ) になると,ネーデルラントをドイツに合体させようと努め,ウィーン会議で,ウィレムが獲得したルクセンブルク大公国のドイツ連邦加入を実現させた。 16~18年にはルクセンブルク代表としてドイツ連邦会議に出席。その後は穏健自由主義の立場から文筆活動を展開した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ガーゲルン」の解説

ガーゲルン
Heinrich von Gagern

1799~1880

ドイツの政治家。三月革命フランクフルト国民議会の議長となり,ついで臨時ドイツ中央政府の首班となり,ドイツの小ドイツ主義的統一のために努力したが,失敗した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「ガーゲルン」の解説

ガーゲルン

生年月日:1766年1月25日
ドイツの政治家
1852年没

ガーゲルン

生年月日:1799年8月20日
ドイツの政治家
1880年没

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