ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
フリードリヒ・ウィルヘルム4世
フリードリヒ・ウィルヘルムよんせい
Friedrich Wilhelm IV
[没]1861.1.2. ポツダム
プロシア王(在位 1840~61)。フリードリヒ・ウィルヘルム3世の子。青年時代 J.アンションの教育を受け学芸を愛好し,教養も高かったが,政治的手腕を欠き「王座のロマン主義者」と呼ばれた。1847年召集した連合州会で憲法制定を否定して国民の不評を招いた。1848年の三月革命において,憲法とドイツ統一を約束しながら,1849年4月フランクフルト国民議会の捧げたドイツ皇帝位を退けた。1850年勅令で欽定憲法を発布。プロシアはこれによって二院制(両院制)の議会をもつことになった。一方,ヨーゼフ・ラドウィッツの計画に従い,保守主義と小ドイツ主義に基づく「エルフルト連合」を形成しようとしたが,オーストリアの反対により挫折。1850年オルミュッツ協定でドイツ連邦の復活に同意した。オーストリア尊重に傾く王およびオットー・マントイフェル内閣に反対するグループは王弟ウィルヘルム(のちのウィルヘルム1世)を擁し,互いに確執したが,王の精神障害が昂じたため 1858年10月ウィルヘルムが摂政位につき,マントイフェル内閣は罷免された。
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