改訂新版 世界大百科事典 「キリルメトディウス団」の意味・わかりやすい解説
キリル・メトディウス団 (キリルメトディウスだん)
Kirilo-Metodiivs'ke Tovaristvo
19世紀ウクライナの政治的秘密結社。9世紀にスラブ人へのキリスト教の布教を行ったキュリロスKyrillosとメトディオスMethodios兄弟の名からその名がつけられた。1845年12月から46年1月にかけてキエフで結成された。中心的組織者はM.I.フラク,V.M.ビロゼルスキー,N.I.コストマーロフで,これにP.O.クリシ,詩人のシェフチェンコなどが加わり,46年秋にはその団員は12名を数えた。綱領的文書として《ウクライナ民族創世記》《聖キリル・メトディウス団規約》が残されており,前者は旧約聖書の《創世記》の体裁を踏襲している。農奴制の廃止とスラブ諸民族の平等を基礎にした連邦の形成を目標として掲げたが,47年春,密告によって全員が逮捕され,フラクは3年,コストマーロフは1年の刑を受けた。最も重かったのはシェフチェンコで,中央アジアに一兵卒として無期流刑となり,詩を書くことも禁じられた(ロシア皇帝ニコライ1世の死後の1857年に恩赦)。1850年代末から60年代はじめにかけて,かつてのキリル・メトディウス団のメンバーはペテルブルグで再会し,十数年にわたって沈黙を余儀なくされていたウクライナ文化運動を再開した。この結社の理念はその後のウクライナの政治的・文化的運動に大きな影響を与えた。
執筆者:中井 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報