クチマ(読み)くちま(英語表記)Леонид Кучма/Leonid Kuchma

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クチマ」の意味・わかりやすい解説

クチマ
くちま
Леонид Кучма/Leonid Kuchma
(1938― )

ウクライナの政治家。ウクライナ北部のチェルニヒウ州生まれのウクライナ人。ドニプロ国立大物理工学部卒。旧ソ連最大の戦略ロケット工場「ユジマシ」の企業長を務めた。ソ連から独立後の1992年10月、首相に任命されたが、経済改革の進め方をめぐって、大統領クラフチュクLeonid Kravchuk(1934―2022)、最高会議と対立政治闘争泥沼にはまり込み、翌1993年9月失意のうちに退陣に追い込まれた。だが、1994年7月の大統領選に立候補して、クラフチュクを「ロシアとの関係を軽視している」と批判、「今度は強い大統領権限で経済危機を乗り切る」と訴えて、当選を決めた。当選後、ロシアとの関係改善を進め、1997年5月にはロシアとの間で、友好協力パートナー条約を結んだ。ロシアが北大西洋条約機構NATO)の「東方拡大」を警戒して、西側接近を図るウクライナを引き止めるために譲歩したもので、ロシア黒海艦隊のセバストポリ軍港20年賃貸使用の見返りとして、クリミア半島、セバストポリのウクライナ帰属が認められた。1998年に、ロシアを訪問し国家間経済協定に調印、また同年EU(ヨーロッパ連合)との間のパートナーシップ憲章に署名。1999年11月大統領に再選される。2000年には、反体制派のジャーナリスト殺人事件に関与したとの疑惑が浮上するなどしたが、体制を強化。経済改革、行政改革意欲を示した。2004年11月、任期満了で退任。1995年(平成7)に来日している。

[白井久也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クチマ」の意味・わかりやすい解説

クチマ
Kuchma, Leonid

[生]1938.8.9. ウクライナ=ソビエト社会主義共和国,チャイキノ
ウクライナの政治家,技術者。首相(在任 1992~93),大統領(在任 1994~2005)。フルネーム Leonid Danilovich Kuchma。1960年ドネプロペトロフスク国立大学を卒業。1972~82年ドネプロペトロフスクの勤務先で共産党書記を務めた。またこの時期に,ソビエト連邦の宇宙開発プログラムの中心地であるカザフスタンバイコヌールで,技術部長という極秘の地位にもついていた。1986~92年,ドネプロペトロフスクにある世界最大級のロケット製造企業,ユズマシュの最高責任者を務めた。1992年10月,レオニード・M.クラフチュク大統領により首相に任命されたが,1年後には経済政策をめぐって対立し,辞任した。1994年の大統領選挙で現職のクラフチュクを破り,1999年には再選を果たした。2002年,反体制派ジャーナリストの暗殺事件や,国際連合安全保障理事会決議に反するイラクへのレーダシステムの売却問題にクチマが関与したことを裏づけると思われる録音テープが見つかったことから,野党勢力は大統領の辞任を求める抗議行動を起こした。クチマは 2004年の大統領選挙にみずからは立候補せず,ビクトル・ヤヌコビッチ首相を後継候補に立てた。対する野党候補はかつて首相に起用したビクトル・ユシチェンコであった。決選投票の結果に異議を唱える声が広がったため,クチマは再選挙を提案して混乱の収拾をはかった。最高裁判所の命令による再選挙の結果,ユシチェンコの勝利が確定し,クチマは 2005年1月に大統領の座を去った。

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