改訂新版 世界大百科事典 「クラウゼウィツ」の意味・わかりやすい解説
クラウゼウィツ
Karl Philipp Gottfried Clausewitz
生没年:1780-1831
プロイセンの軍人,軍事理論家。年少の頃よりドイツ古典哲学を学び,士官養成学校では校長シャルンホルストの深い影響を受ける。対ナポレオン戦争では捕虜体験,参謀将校としての実戦経験を積む。戦後,一般士官学校校長(1818-30)となり,この頃より戦史,戦争理論の研究に没頭する。ポーランド人の反乱に際し参謀長として派遣され,帰還後ほどなく病没。死後,妻によって遺稿が整理・公刊され,その遺作集10巻の最初の3巻が《戦争論Vom Kriege》(1832-34)である。この書物はナポレオン戦争などの実戦経験に立脚し,大衆軍隊による近代戦における用兵から戦争の本質論まで含み,近代的戦争,軍事理論の不滅の古典である。その後,世界各国の将帥たちやエンゲルス,レーニンなどにも深い影響をあたえた。森鷗外訳《大戦学理》(1903)は,日本におけるこの書物の翻訳の嚆矢をなすものである。
執筆者:望田 幸男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報