戦争論
せんそうろん
Vom Kriege
プロイセンの将軍クラウゼウィッツ(1780―1831)の主著。死後、妻マリーが出版した『遺作集』10巻(1832~37)のうち最初の3巻が『戦争論』の部分。「戦争の本性」「戦争の理論」「戦闘」「戦闘力」「防御」「攻撃」「戦争計画」からなる。ナポレオンのロシア遠征(1812)、ワーテルローの戦い(1815)などの実戦の経験をもとにして書かれたもの。
戦争技術の古典的軍事書であることはもちろんのこと、戦争を政治と関連づけている点で優れた政治学書でもある。「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続」というあまりにも有名な定義は、戦争を単に孤立した突発的現象としてみるだけでなく全体的な性格をもつものとしてとらえている点で注目される。ここから、戦争の継続や停止は、その国の政治的事情に対応すること、また戦争において政治的判断がいかに重要であるかという重要な結論が導き出される。『戦争論』は、その後、ドイツのモルトケ、シュリーフェン、ヒンデンブルクなどの各将軍に大きな影響を与えたが、第一次世界大戦中のドイツ国防軍参謀総長で『総力戦』(1935)を書いたルーデンドルフのように、もはやクラウゼウィッツの戦争理論は時代後れのものである、という批判もある。
ところで、社会主義革命の父、エンゲルスやレーニンが、クラウゼウィッツを高く評価し、彼のいう戦争の本性を、階級戦における階級敵の撃滅と読み替え、革命の成功には人民大衆の民主主義思想の育成が重要であるとして、革命と政治を結び付けて革命理論を構築しているのは興味深い。日本において『戦争論』を最初に翻訳したのは森鴎外(おうがい)(『大戦学理』上巻・1903)である。
[田中 浩]
『篠田英雄訳『戦争論』全3冊(岩波文庫)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
戦争論
せんそうろん
Vom Kriege
ドイツ,プロシアの将軍 K.クラウゼウィッツの著書。彼の死後,主として夫人の手で編集された『戦争・作戦遺作集』 (全 10巻) のうち最初の3巻。 1832~34年刊行。フリードリヒ2世 (大王) ,ナポレオン1世による戦争を中心に戦争を観察分析した。従来の固定的な戦術論と異なり,戦争には心理的・偶発的要素が多いことを強調し,さまざまな状況をあげて,どのように判断すればよいかを論じている。なかでも有名なのは,「戦争は政治の延長にしかすぎない」というテーマである。この本は,今日にいたるまで世界に大きな影響を与えているが,刊行当時はドイツの軍幹部による評価は低かった。陸戦を主としているために,第2次世界大戦後は古典的存在となったとはいえ,まだ,適応する部分は多い。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
『戦争論』(せんそうろん)
Vom Kriege
クラウゼヴィッツの著書(1832年)。ナポレオンの諸戦争を分析して近代作戦を体系的に論じたもの。戦争を「他の手段を伴う政治の継続」としてとらえ,戦争理論の古典的名著とされる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の戦争論の言及
【兵法】より
…〈用兵の法〉の略語で,兵はもと武器の意から転じて軍隊の意。戦争技術としての戦術論,戦略論を含む戦争論である。
[中国]
中国の兵法は,戦争を国家の存亡にかかわる大事ととらえ,政治経済とも不可分の関係で説かれるほか,将帥の人格的役割を重んじ,人心の和合を具体的・技術的方法とともに用兵上の眼目とするところに,特色がある。…
【クラウゼウィツ】より
…ポーランド人の反乱に際し参謀長として派遣され,帰還後ほどなく病没。死後,妻によって遺稿が整理・公刊され,その遺作集10巻の最初の3巻が《戦争論Vom Kriege》(1832‐34)である。この書物はナポレオン戦争などの実戦経験に立脚し,大衆軍隊による近代戦における用兵から戦争の本質論まで含み,近代的戦争,軍事理論の不滅の古典である。…
【戦争】より
…こうして戦争は,他の手段をもってする国家の政策の実行にほかならなくなる。戦争の性格のこの変容を鋭く見抜き,あますところなく分析したのが,この時代を生きたプロイセンの士官[クラウゼウィツ]であり,その《戦争論》(1832‐34)は後世の戦争観に決定的な影響力を与えることになる。 クラウゼウィツの戦争論のもっとも大きな寄与は次の命題の定立であろう。…
【戦争】より
…こうして戦争は,他の手段をもってする国家の政策の実行にほかならなくなる。戦争の性格のこの変容を鋭く見抜き,あますところなく分析したのが,この時代を生きたプロイセンの士官[クラウゼウィツ]であり,その《戦争論》(1832‐34)は後世の戦争観に決定的な影響力を与えることになる。 クラウゼウィツの戦争論のもっとも大きな寄与は次の命題の定立であろう。…
【普墺戦争】より
…[モルトケ]を中心とする参謀本部の権威は決定的に高まり,後年国王と参謀総長との直結関係(直奏権)の確立の伏線となった。またモルトケはナポレオン戦争の軍事戦略の理論的定式化を行った[クラウゼウィツ]の《戦争論》を,産業革命の成果と結合させた。それは鉄道や電信・電話の軍事的利用となってあらわれ,普墺戦争の主戦場となったザクセン・ボヘミア方面には,オーストリアの鉄道1本に対して,プロイセンのそれは5本が敷設されていたし,電信・電話による連絡網は,近代的大規模軍隊の統御を容易にした。…
※「戦争論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 