クラクデシュバリエ(英語表記)Krak des Chevaliers

改訂新版 世界大百科事典 「クラクデシュバリエ」の意味・わかりやすい解説

クラク・デ・シュバリエ
Krak des Chevaliers

レバノントリポリの北東約60kmにある12~13世紀の城。〈騎士の城砦〉の意。十字軍は少数の戦士で近東の占領地を守るため,そこに西欧よりも技術の進歩した多数の城を造ったが,この城はその代表的なもの。地中海内陸の都市をむすぶ幹線道路を見下ろす,標高約600mのけわしい山頂に,二重に城壁をめぐらして築かれた。1110-70年ころに内郭の城壁を造り,12世紀末から13世紀初めにこれをさらに補強してその中庭に礼拝堂,南側の城壁沿いに3塔で構成された強大な天守を建設するとともに,外郭の城壁を築いた。1142年に城はトリポリ伯から,聖地巡礼の保護にあたるホスピタル騎士団に譲られ,エジプトの雄将サラーフ・アッディーンの攻撃(1188)を含めて十数回に及ぶイスラム軍の攻撃に耐えた。1271年バイバルスのひきいる連合軍に包囲され,南西隅の塔を破壊されて外郭を占領された。内郭にこもってさらに抗戦したが,降伏を勧めるトリポリ伯の偽手紙にあざむかれて開城し,守備軍はトリポリに退去した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クラクデシュバリエ」の意味・わかりやすい解説

クラク・デ・シュバリエ
Krak des Chevaliers; Castle of the Knights

シリアパレスチナで活動した十字軍によって築かれた城塞。現存する最も有名な中世の軍事建造物の一つ。レバノン国境に近いシリアの都市ホムス近郊にある。ヨハネ騎士修道会 (ホスピタル騎士団) により建設され,1142年からマムルーク朝第4代スルタンのバイバルスに攻略された 1271年までの間使用された。建物は間に幅広の堀をめぐらせた二重の城壁をもち,2000人の兵を収容できた。 2006年シリア北東部に残るサラディン要塞とともに世界遺産文化遺産に登録された。

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世界大百科事典(旧版)内のクラクデシュバリエの言及

【城】より

…12世紀初頭から,十字軍の騎士たちは東方の占領地に多数の城郭を築いてイスラム軍の反攻に備えたが,これらは通例,内郭を外郭で囲み,二重の城壁と空堀を備え,東方の都城の築城技術をコンパクトな西欧的城郭に巧みに取り入れていた。これらのなかで最も完全な城郭といわれたのがシリアにあるクラク・デ・シュバリエ(〈騎士の城〉の意。12~13世紀初期)である。…

※「クラクデシュバリエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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