改訂新版 世界大百科事典 「クリスタラー」の意味・わかりやすい解説
クリスタラー
Walter Christaller
生没年:1893-1969
ドイツの地理学者。シュワルツワルトの牧師の家(母は小説家)に生まれ,地図の好きな少年として成長したが,1913年ハイデルベルク大学では経済学を専攻し,A.ウェーバーに学んだ。しかしまもなく第1次世界大戦に従軍して負傷し,エルランゲン大学(経済学)を卒業したのは30年であった。その後も同大学の地理学者R.グラートマンの講義を聴き,《南ドイツの中心地》(1933)を学位論文として提出した。それは,都市の数・規模・分布や都市と農村間の機能的関係について経済理論を用いて説明したものであったが,当時の地理学からはあまり評価されず,むしろ,発足まもない国土計画調査機関に認められ,第2次大戦中,40年ころよりドイツ軍の東方占領地区(ポーランド)の集落計画に従事した。戦後はユーゲンハイムの自宅に帰り,そこで地方行政に参加。共産党に入党したこともあったが,やがて失望し,その後は民間の学者として委託研究などに従事し,経済的には苦しい生活を強いられた。しかし戦後クリスタラーの中心地理論は世界各地で検討され,地理学の空間理論,法則性重視のなかでとくにアメリカやスウェーデンにおいて高く評価され,彼は〈理論地理学の父〉と呼ばれるとともに,ルール,ルント両大学から名誉博士の称号を得た。晩年には,中心地理論とは対極的関係にある観光立地論の研究に従事した。
→中心地理論
執筆者:森川 洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報