日本大百科全書(ニッポニカ) 「クリューガー」の意味・わかりやすい解説
クリューガー(Felix Emil Krüger)
くりゅーがー
Felix Emil Krüger
(1874―1948)
ドイツの心理学者。ポーゼン生まれ。実験心理学者のW・ブントのもとで助手および私講師をつとめた。1917年にブントがライプツィヒ大学を辞めたあと、研究室は精神物理学を研究する部門と民族心理学を研究する部門とに分かれたが、後者を主宰したのがクリューガーである。ベルリン学派のゲシュタルト心理学よりもっと広い立場から人間をとらえようとして、社会心理学、文化心理学、民族心理学などの見地を取り入れた。また感情的経験のもつ全体的な性質を重視して、子供の発達の根元を感情的な複合質に求め、これが個人および社会の心的存在に根本的な統一性を与えるものと考えて、のちにこれを構造と名づけた。彼の心理学は全体心理学とよばれ、その学派はライプツィヒ・ゲシュタルト学派とよばれることがある。
[宇津木保]
クリューガー(Stephanus Johannes Paulus Krüger)
くりゅーがー
Stephanus Johannes Paulus Krüger
(1825―1904)
南アフリカ、トランスバール共和国の最後の大統領(在位1883~99)。ケープ植民地ザウトパンスドリフトの農民の子として生まれ、グレート・トレック(内陸大移動)の際に両親とともにトランスバールに移動、定着した。第一次ブーア戦争(1880~81)ではトランスバールの代表としてロンドンに赴いた。1883年トランスバール共和国大統領に選出されたが、86年同国内での金の富鉱の発見とともにイギリスはふたたび同国の併合を企て、第二次ブーア戦争(1899~1902)を起こした。ブーア人はクリューガーを中心に団結して戦ったが敗れた。1900年、フランス、オランダの援軍を求めて国外に脱出したが、04年スイスで客死した。
[林 晃史]