コラール(読み)こらーる(英語表記)Ján Kollár

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コラール」の意味・わかりやすい解説

コラール(賛美歌)
こらーる
chorale 英語
Choral ドイツ語

語源は、合唱を意味するラテン語コルスchorusの形容詞形コラーリスchoralisに由来する。そのドイツ語化された名称コラールは、16世紀中ごろから登場する。中世においてはグレゴリオ聖歌に代表されるローマ教会の各種単旋律聖歌の総称として用いられていたが、宗教改革後のドイツ、北ヨーロッパでは、会衆が自国語で歌う宗教的有節歌曲およびその歌詞を意味するようになった。ただしルターやカルバン自身はまだこの名称は用いず、この意味での定着は16世紀末であった。またコラールに基づいた合唱曲、オルガン曲などの総称であるコラール編曲も、すでに17世紀以来、単にコラールともよばれてきた。狭義のコラール、つまりルター派プロテスタント教会のドイツ語の賛美歌は、会衆を礼拝に積極的に参加させようというルターの意図に従い、すでに1523年から整備が進められた。J・ワルターJohann Walther(1496―1570)、G・ラウGeorg Rhaw(1488―1548)らの協力を得たルターとその派は、翌24年以来ドイツ各地で無数のコラール集を出版した。今日のドイツでも各教区が『福音(ふくいん)教会賛美歌集』Evangelisches KirchengesangbuchEKG)を制定している。

 コラールにはさまざまなタイプがある。たとえば『来たれ異教徒救い主』のように、ローマ・カトリック教会のイムヌス(賛歌)やセクエンツィア(続唱)のラテン語歌詞をドイツ語訳したもの、また、典礼歌のドイツ語詞に、新しい旋律を付したもの、さらには『キリストは死のきずなにつきたもう』のような、既存のドイツ語宗教歌の改作がある。しかし、とくにルター派コラールの面目躍如たるものは、世俗歌曲の歌詞を宗教詩に置き換えるコントラファクトゥムKontrafactumという手法によるもので、たとえばJ・S・バッハの『マタイ受難曲』(1727)でも重要な役割を演ずる受難コラール「血潮したたる主のみかしら」は、H・ハスラーの恋愛歌『わが心は乱れ』の改作である。

 コラールはすでに初期の時代からポリフォニー編曲の形をとって出版されることが多かったが、当時の様式を反映して、主旋律はおもにテノール声部に置かれていた。コラールの主旋律が最上声部に置かれ、今日コラール風とよばれるホモフォニックな四声体の様式を確立したのは、オシアンダーLukas Osiander(1534―1604)のコラール集(1586)が最初である。

樋口隆一

『辻荘一著『キリスト教音楽の歴史』(1979・日本基督教団出版局)』


コラール(Ján Kollár)
こらーる
Ján Kollár
(1793―1852)

チェコスロバキア詩人、スラブ学者。ロマン的汎(はん)スラブ主義の創始者。スロバキア出身。ポジョニ(ドイツ名プレスブルク、現ブラチスラバ)の福音(ふくいん)派学校を卒業(1815)後、イエナ大学神学部に留学(1817~1819)。当地でワルトブルク祭を経験し、ドイツ民族統一運動の影響を受けた。帰国後、ペシュトの福音派教会の牧師を務め、1849~1852年ウィーン大学スラブ考古学講座の特別教授となった。彼はスラブ民族間の文化交流を果たすために、言語研究、書籍の交換、図書館の創設、大学におけるスラブ語講座の設置の必要性を主張、チェコ人、スロバキア人の民族運動の担い手に大きな影響を与えた。彼のスラブ民族統一理念は、詩集『スラーバの娘』Slávy dcera(1824)にもっとも強く表れている。

[稲野 強]


コラール(インド)
こらーる
Kolar

インド南部、カルナータカ州南東部の小都市。人口11万3299(2001)、13万8462(2011センサス)。州都ベンガルールの東約60キロメートルに位置する。南東のコラール・ゴールド・フィールズはその名のとおり金鉱山として知られ、インドの金総産出高のほとんどを占めている。鉄道、国道の通じるこの町はその出入口。

[中山晴美]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コラール」の意味・わかりやすい解説

コラール
Corral, Luis Diez del

[生]1911. ログローニョ
[没]1998. マドリード
スペインの歴史家,政治学者,文学者。マドリード大学法学部卒業後,ベルリン,フライブルク両大学で哲学を修め,1936年『政治の思想と形態』 Historia de las ideas y formas politicasによりスペイン・アカデミー法律学大賞,42年小説『マジョルカ』 Majorcaにより同文学大賞を受賞。 51年,マドリード大学政治経済学部教授。 54年の『ヨーロッパの略奪』 Elrapto de Europaによって一躍世界的脚光を浴びる。 53年より 61年にわたって,スペイン文化使節として欧米,中近東,日本などに派遣された。これは 63年に『新世界より旧世界へ』 Del nuevo al viejo mundoとして結実した。

コラール
chorale

ドイツ・プロテスタント教会,特にルター派教会の賛美歌。宗教改革の主張に基づき,教会に集る信者みずからが歌えることを目的として,ルターやその協力者たちによって作られたドイツ語の歌詞と単純な旋律の宗教歌。 1520年代から現れ,最初はもっぱら会衆によって単旋律のまま歌われたが,次第に高度な芸術作品の基礎としても用いられるようになり,コラール・カンタータ,コラール・モテト,コラール・ファンタジーなどの編曲を生み,プロテスタント教会音楽の発展に大きな役割を果した。

コラール
Kollár, Jan

[生]1793.7.29. モショフツェ
[没]1852.1.24. ウィーン
スロバキア出身のチェコの詩人。プロテスタントの牧師で,ブダペストの説教師,のちにウィーンの大学のスラブ古代史の教授をつとめた。代表作に 1824年に執筆,32年に決定版の出た『スラーバの娘』 Slávy dceraがある。チェコおよびスロバキアの文芸復興期のイデオロギーである汎スラブ主義を鼓舞した詩人。

コラール
Kolār

インド南西部,カルナータカ州南東部の町。コラール県の行政庁所在地。バンガロール東北東約 70km,コラールゴールドフィールズの北西に位置。降水量が少く,周辺の台地には多数のため池が造られ,米,サトウキビ,タバコを産出。町では綿織物,毛布,皮革製品が生産され,農産物とともにバンガロールに移出。人口8万 3219 (1991) 。

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