改訂新版 世界大百科事典 「クルティウス」の意味・わかりやすい解説
クルティウス
Ernst Robert Curtius
生没年:1886-1956
ドイツのロマンス語文学研究者,文芸批評家。アルザス地方に生まれ,ローマで没した。マールブルク,ハイデルベルク,ボン大学教授を歴任。この間,《現代フランスの文学開拓者たち》(1919),《バルザック》(1923),《現代ヨーロッパにおけるフランス精神》(1925),《フランス文化論》(1930),《危機に立つドイツ精神》(1932),《ヨーロッパ文学とラテン中世》(1948,増補版1954),《ヨーロッパ文芸批評》(1950),《20世紀のフランス精神》(1952)などの名著を発表。遺稿に《読書日記》(1960)があり,ほとんど邦訳がある。それまであまり知られていなかったジッド,M.プルースト,バレリー,T.S.エリオットなどの英仏の現代文学をドイツに紹介した功績は大きい。はじめロマン・ロランに影響されたクルティウスは,さらに歴史家A.トインビーから多くを吸収し,ヨーロッパ諸国の〈国民文学〉を包摂する〈ヨーロッパ文学〉の概念確立のために努力。ヨーロッパ文学における〈マニエリスム〉の概念は,彼に由来する。
執筆者:南大路 振一
クルティウス
Ernst Curtius
生没年:1814-96
ドイツの古代史家,考古学者。ボン,ゲッティンゲン,ベルリンに学んだ後,約3年間ギリシアに滞在して,広く各地を丹念に旅行し,またミュラーのデルフォイの碑文調査にも加わる。帰国後ベルリン大学に教職を得,またドイツ帝室の知遇を得る。1852年に行った有名な講演〈オリュンピア〉は,75年にドイツ帝国の事業として始まるこの聖地発掘の口火となった。ギリシア政府との交渉,発掘組織や諸般の準備は彼に負うものであり,F.アードラーと共にベルリン大学の教授でありながら総監督となる。この発掘は最初の大規模で組織的な科学的発掘として画期的で,成果も大であった。この地とドイツ考古学との関係は今日も続く。数冊の論文集のほか,《ペロポネソス》は地誌と歴史を結合した名著であり,《ギリシア史》は深い教養と美しい文章によって,ギリシア精神と文化の魅力を多くの人々の間に広めた。
執筆者:村田 数之亮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報