日本大百科全書(ニッポニカ) 「デルフォイ」の意味・わかりやすい解説
デルフォイ
でるふぉい
Delphoi
古代ギリシアの神託で有名なポリス(都市国家)。中部ギリシアのフォキス地方、パルナッソス山の南麓(なんろく)にあった。英語名デルファイDelphi。遺跡は1987年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。紀元前二千年紀に大地母神ガイア(ゲー)の聖所があり、神託も行われていたが、前9世紀に新来者アポロンがゲーの地位を奪った。前8世紀以降しだいに名声を高め、異民族の権力者などもその神託を求めるようになり、遅くとも前6世紀にはギリシアのもっとも重要な神託所になった。アンテラからデルフォイに中心を移したアンフィクティオニア(隣保同盟)が、前6世紀初めに第1回神聖戦争を起こしてフォキスのキラを破壊し、前582年ごろには、アポロンに捧(ささ)げられる従来の祭りをもとに、4年ごとの全ギリシア的なピティア祭を始めた。ペルシア戦争ではギリシアの敗北を予想したが、神託に対する人々の信頼はなお長く維持された。しかし以後、アテネ、スパルタ、テーベなど、そのときどきの指導的ポリスの影響力に屈するようになり、前356~前346年のフォキス人に対する第3回神聖戦争の結果、アンフィクティオニアはマケドニア王フィリッポス2世に支配されるに至った。ヘレニズム時代、ローマ時代にも衰退は進み、キリスト教を国教化したローマ皇帝テオドシウス1世によって、紀元後390年にこの異教の神託所は閉鎖された。
神託は、結婚、病気、商売など私的な問題と、祭儀、和戦、国制、植民など公的な問題の別なく求められた。神託所はアポロン神殿の奥にあり、依頼者は男性の神官を介して、ピティアとよばれる巫女(みこ)に質問し、鼎(かなえ)の上に座した巫女は、神がかりの状態になってアポロンの神託を語り、神官がそれを韻文の形に整えて依頼者に伝えた。神託所の床の岩に割れ目があり、底から立ち上る蒸気を吸うと巫女は神がかりになったとの伝承は、今日では一般に信用されていない。
現在のデルフォイ(現代ギリシア語ではデルフィDhelfíと発音する)は、古代の遺跡の上にあった村カストリを約0.8キロメートル西に移して、1892年につくられた人口約1200の村である。
[清永昭次]