クンマー(読み)くんまー(英語表記)Ernst Eduard Kummer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クンマー」の意味・わかりやすい解説

クンマー
くんまー
Ernst Eduard Kummer
(1810―1893)

ドイツの数学者。ベルリンからあまり遠くない村ソラウで医者の次男として生まれる。3歳のとき父が病没以後、貧困のなかで母に育てられた。22歳のときから10年間リーグニッツ(現、ポーランドレグニーツァ)のギムナジウムの教師を勤めたが、この時期の生徒のなかにクロネッカーがおり、クロネッカーとは終生数学上の親交があった。32歳でブレスラウ大学に、45歳でベルリン大学に移った。彼の幅広い研究のうちとくに有名なのは、理想数およびp進数を導入して整数論の発展に大きく貢献したことである。具体的応用には、1のp乗根が生成する体(たい)の類数がpと素な場合のフェルマーの問題の証明がある。彼の著述は、ワイル編の全集(2巻・1975)にまとめられている。

永田雅宜

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クンマー」の意味・わかりやすい解説

クンマー
Kummer, Ernst Eduard

[生]1810.1.29. ブランデンブルク公国,ゾラウ
[没]1893.5.14. ベルリン
ドイツの数学者。3歳のとき,ゾラウで開業医をしていた父を,ナポレオンの敗残兵の残したチフスによって失う。赤貧のなかで育ち,ハレ大学に入ったとき (1828) ,寄宿舎に入らないで,ハレとゾラウの間を歩いて往復したという。最初は神学研究を志したが,シェルク教授の講義を聞いてから数学に転向。ゾラウのギムナジウム教師 (1831) ,リグニッツのギムナジウム教師 (32) 。ブレスラウ大学教授 (42) 。 1855年,ゲッティンゲン大学に移った P.ディリクレのあとをうけてベルリン大学教授となる。最も重要な業績は整数論の研究である。 43年,彼はフェルマの問題 (→フェルマの最終定理 ) の証明をディリクレに示したが,誤りを指摘され,さらに努力を重ねて理想数 ideal numberの概念を創出し,それを用いてフェルマの問題が広範囲の素数に対して解けないことを証明した。その後のフェルマの問題の研究は,ほとんどがクンマーの仕事を基礎にしている。その功績によって 57年,パリ科学アカデミーから大賞を贈られた。

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