日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェルマー」の意味・わかりやすい解説
フェルマー
ふぇるまー
Pierre de Fermat
(1601―1665)
フランスの数学者、政治家。トゥールーズの近く、ボーモン・ド・ロマーニュに生まれる。父は生地の副領事で皮革商であった。フェルマーはトゥールーズの大学で法律を学び、1631年5月トゥールーズの参事官となって政治家としての第一歩を踏み出した。その後1648年にはトゥールーズ議会の議員となり、生涯をその地で送った。ここは政治的に安定しており、職務の余暇に古い数学書を読みながら数学を研究し、その研究成果を、交際のある当代の代表的な数学者に手紙で知らせていた。自分の成果を論文や著作の形で公表することを好まなかったらしく、高く評価される彼の研究の多くは、その死後、1679年にまとめて発表された。
フェルマーは、デカルトとは独立に、曲線y=f(x)を横座標xに応じて、長さyの線分をとりながら、直線や円錐(えんすい)曲線がそれぞれ一次、二次の方程式で与えられることを示した。この仕事は今日の解析幾何学の基礎を与えるものである。さらに極小を求める方法として、極限をとる考えはなかったが、
を解いて極値x0を求め、極大・極小を出した。これは今日pseudo-equality methodとよばれている。この方法を用いて、曲線に接線を引くことができた。またフェルマーはパスカルとの間で、さいころ賭博(とばく)を途中でやめたとき、賭(か)け金をどのように分配するかについて文通で論じた。これは確率論の問題を扱ったもので、フェルマーは確率論の創始者の一人でもある。
フェルマーの名を不朽にしたのは、彼の数論の研究であった。古代ギリシアのディオファントスの『算数論』のラテン語訳書を読み自分の出した結果をこれに書き込んだ。pが素数で、aとpが互いに素であればap-1-1はpで割り切れる。4n+1の形の素数は二つの平方数の和として一通りに書ける、そして立方数を二つの立方数に、また四乗数を二つの四乗数に、一般に2より大きいべき数を二つの同じべき数に分けることはできない、などである。初めの二つは証明できるが、最後のものは、xn+yn=znの整数解を求める問題で、長い間、完全に解けていなかった。これは「フェルマーの予想」または「フェルマーの問題」とよばれている(この問題については、1994年にワイルズAndrew J. Wiles(1953― )によって証明が完成されている)。数論の結果の証明に、数学的帰納法の一つの変形である無限降下法をしばしば利用した。フェルマーは22n+1はどんな自然数についても素数であると予想したが、n=5のとき641×6700417となり、素数ではない。この形の数22n+1は今日フェルマー数とよばれている。フェルマーの予想とは違って、今日では、n≧5のときフェルマー数は素数ではないと考えられている。
[井関清志]