グツコー(その他表記)Karl Gutzkow

改訂新版 世界大百科事典 「グツコー」の意味・わかりやすい解説

グツコー
Karl Gutzkow
生没年:1811-78

ドイツジャーナリスト劇作家ベルリン生れ。フランス革命の衝撃は大きく,大学生グツコーは,〈ぼくには学問は終わり,歴史がはじまる〉と感じる。彼は〈生れながらのジャーナリスト〉として,ウィーンバルクと並ぶ青年ドイツ派の代表格となり,《フェニックス》紙その他で休みなく評論を書き続ける。彼が編集者として,劇作家G.ビュヒナーの才能を発掘したことは有名である。この頃,彼は傾向小説《疑う女ワリー》(1835)で宗教的タブーに挑戦し(後年,そのために4ヵ月間投獄される),他方では,ウィーンバルクとともに注目すべき文芸誌《ドイッチェ・レビュー》を企画するが,ドイツ連邦議会による青年ドイツ派の全面的禁止令(1835年12月)により,彼らの運動は壊滅する。三月革命以降も,グツコーは動揺しつつも左翼小市民的立場にとどまり,知識層とヒューマニズムの問題を主題とする悲劇《ウーリエル・アコスタ》(1847)や喜劇タルチュフ原型》(1844)などの秀作を書いた。小説の分野でも多産な作家であり,とくにフランスの作家ウジェーヌ・シューを手本にして,同時進行形式の長編小説を開拓したが(《精神騎士たち》1850-51,《ローマ魔術師》1858-61),その膨大さと味気ない文体のためか,ほとんど今日では読まれない。晩年は強迫観念に苦しめられ,各地を転々としたあと,フランクフルト・アム・マイン郊外の自室で悲惨な事故死に見舞われた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グツコー」の意味・わかりやすい解説

グツコー
Gutzkow, Karl (Ferdinand)

[生]1811.3.17. ベルリン
[没]1878.12.16. ザクセンハウゼン
ドイツの小説家,劇作家。「若きドイツ」派の指導的人物。ジャーナリストとしても活躍。貧しい家庭に育ち,1830年の革命に感激して文筆生活に入る。小説『アムステルダムのサドカイ派』 Der Sadduzäer von Amsterdam (1834) は宗教界の狭量を批判したもので,のちの戯曲『ウリエル・アコスタ』 Uriel Acosta (47) のもととなった。既成の結婚観に挑戦した小説『懐疑する女ワーリー』 Wally,die Zweiflerin (35) によって投獄され,若きドイツ派はその後弾圧を受ける。 47~49年にはドレスデン宮廷劇場顧問をつとめた。戯曲多数のほか,長大な社会小説『精神の騎士たち』 Die Ritter vom Geiste (9巻,50~51) ,カトリック教会を批判した大作『ローマの魔術師』 Der Zauberer von Rom (9巻,58~61) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グツコー」の意味・わかりやすい解説

グツコー
ぐつこー
Karl Ferdinand Gutzkow
(1811―1878)

ドイツの小説家、劇作家、ジャーナリスト。「若きドイツ」の中心人物。小説『疑う女ワリー』(1835)における宗教的懐疑と大胆なエロス描写のため投獄され、時の人となった。ドイツ最初の時代批判的社会小説とされる全9巻の小説『精神の騎士たち』(1850~51)では、時代全体を描くべく、多様な事件が同時進行する並列関係の手法を標榜(ひょうぼう)。芸術性は疑問視されるが、作品全体はロマン主義から写実主義への掛け橋となっている。

[佐々木直之輔]

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