日本大百科全書(ニッポニカ) 「青年ドイツ派」の意味・わかりやすい解説
青年ドイツ派
せいねんどいつは
Das Junge Deutschland
フランス七月革命(1830)から衝撃を受けたドイツの急進的作家グループによる「文学革命」運動。「若きドイツ」ともいう。その名は、『美学征伐』(1834)の巻頭に書かれたウィーンバルクの「老いたドイツではなく、若きドイツに捧(ささ)げる」とした献辞に由来する。彼らはサン・シモン主義やヘーゲル哲学の影響関係に応じて、ライン右岸グループ(L・ウィーンバルク、K・グツコーら)とベルリン・グループ(H・ラウベ、T・ムント、G・キューネら)に分かれる。1835年12月の、ドイツ連邦議会による全面的禁止令により壊滅するが、彼らの運動が七月革命後のドイツの精神界に少なからぬ新風を巻き起こした事実は、これまで過小に評価されてきた。ハイネのいう「芸術時代の終焉(しゅうえん)」は彼らに共通した時代意識であり、それを抜きにして、ゲーテの「復古の文学」に対置する彼らの「行動の文学」は理解できない。「われわれの文学革命は批評を通じて始まった」とはグツコーの有名なことばである。そして彼らは、そのような立場から、宗教的自由、女性の解放、ユダヤ人の市民的平等などをテーマとする活発な批評活動を展開する(幻の雑誌に終わった『ドイツ評論』は、そのための壮大な実験になるはずであった)。彼らが「文学的批評」を、ドイツ三月革命(1848)前期におけるもっとも重要なジャンルに発展させた意義は大きい。
[林 睦實]