日本大百科全書(ニッポニカ) 「グラニコスの戦い」の意味・わかりやすい解説 グラニコスの戦いぐらにこすのたたかい アレクサンドロス大王のペルシア遠征における緒戦。紀元前334年5月、小アジア(アナトリア)半島の北西端グラニコスGranikos川(現在名コジャバシュ川)の河口から約10キロメートル入った河畔で起こった。大王はペルシアの在地軍およびメムノン麾下(きか)のギリシア人傭兵(ようへい)軍を破ったが、混戦で、自身も敵将2人に襲われ、側近の戦友クレイトスの助太刀(すけだち)で命拾いをした。王の生涯でもっとも危うい一瞬であった。以後、小アジアへの進撃の道が開かれた。[金澤良樹] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グラニコスの戦い」の意味・わかりやすい解説 グラニコスの戦いグラニコスのたたかいBattle of the Granicus 前 334年にマケドニアのアレクサンドロス3世 (大王) がアケメネス朝ペルシア軍を破った最初の戦い。小アジアのグラニコス川 (現コカバス川) の河口付近が戦場となった。この勝利によって,遠征の当初の目的であった小アジアのギリシア諸市の解放は,ほぼ達成された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
旺文社世界史事典 三訂版 「グラニコスの戦い」の解説 グラニコスの戦いグラニコスのたたかいGranikos 前334年に行われたアレクサンドロス大王とアケメネス朝との戦争小アジアに軍を進めた大王は,グラニコス川河畔でアケメネス朝の大軍を撃滅し,小アジアの大半を手中にした。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報