グールド(その他表記)Glenn Gould

デジタル大辞泉 「グールド」の意味・読み・例文・類語

グールド(Glenn Gould)

[1932~1982]カナダピアノ奏者。バッハなどの古典音楽個性的かつ現代的な解釈で演奏した。晩年はレコード録音に専念。

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精選版 日本国語大辞典 「グールド」の意味・読み・例文・類語

グールド

  1. ( Glenn Gould グレン━ ) カナダのピアノ奏者。バッハなどの古典音楽作品を個性的な新解釈で演奏した。一九六四年以後は演奏会を拒否し、スタジオでレコードを録音するという形での演奏に徹した。(一九三二‐八二

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改訂新版 世界大百科事典 「グールド」の意味・わかりやすい解説

グールド
Glenn Gould
生没年:1932-82

カナダのピアニストトロント音楽院でピアノを学び,12歳で同音楽院を卒業し,14歳のときにトロント交響楽団ベートーベンのピアノ協奏曲第4番を共演してデビューした。以後カナダの各地でリサイタルを開くかたわら,R.シュトラウスなどの後期ロマン派,シェーンベルクをはじめとする第2次ウィーン楽派の音楽を学んだ。1955年にワシントンで演奏会を開き,続いてニューヨークで開いたバッハの《ゴールドベルク変奏曲》の演奏会は,センセーショナルな成功をおさめ,以後ヨーロッパやソ連で華やかな演奏会活動を続けた。しかし不完全な部分の多いコンサート活動に疑問を感じ,64年,公開演奏会を中止し,以後レコーディング活動に専念,テープ編集による完ぺきな再現作業を目ざした。ペーザントG.Payzant(1926- )は,こうしたグールドの態度に注目し,《グレン・グールド--なぜコンサートを開かないか》という著書を執筆している。グールドの演奏様式は,明確なフレージングアーティキュレーションによるもので,レコード音楽の時代の典型的なスタイルの一つとされている。
執筆者:


グールド
Benjamin Apthorp Gould
生没年:1824-96

アメリカの天文学者で,地球の経度の決定に業績があった。ハーバード大学を卒業してから,ゲッティンゲンでC.F.ガウスに数学と天文学を学んだ後,アメリカ政府の沿岸測量局の経度部長(1852-67)として,電気通信によって経度を決定する方法を開発し,ヨーロッパとアメリカの経度差を求めるために用いた。1849年には天文学雑誌《Astronomical Journal》を発刊,また,アルゼンチン共和国の依頼でコルドバ天文台を作り(1862),そこで,7万3160星の赤緯帯星表を作り(1884),3万2448星の子午線観測から一般目録を編纂(へんさん)した。彼は南天と北天の観測から,天球を一周して分布する4等より明るい輝星が,天の川に沿ったものと,それに対して約20°傾斜した帯とに分かれていることを見いだした。後者はグールド帯と呼ばれている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グールド」の意味・わかりやすい解説

グールド
Gould, Stephen Jay

[生]1941.9.10. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2002.5.20. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の古生物学者,進化生物学者,著述家。『ナチュラル・ヒストリー』誌に「生命についての考察」と題するエッセーを 1974年から 2001年まで連載した。1972年ナイルズ・エルドレジとともに断続平衡説を発表。の進化は長く安定した期間と急激な種分化と形態変化を断続的にもたらすと主張,チャールズ・R.ダーウィン以来の進化論に異を唱えた。1963年にアンティオーク大学で地質学学士号を,1967年にコロンビア大学で古生物学博士号を取得。1973年にハーバード大学教授となる。著書に『個体発生と系統発生』Ontogeny and Phylogeny(1977),『パンダの親指』The Panda's Thumb(1980),『人間の測りまちがい』The Mismeasure of Man(1981),"The Structure of Evolutionary Theory"(2002)など多数。1983年全米芸術科学アカデミー会員,1989年全米科学アカデミー会員となった。

グールド
Gould, Benjamin Apthorp

[生]1824.9.27. ボストン
[没]1896.11.26. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの天文学者。ハーバード大学卒業 (1844) 。合衆国沿岸調査委員会の経度部門の責任者 (52) ,オールバニ天文台台長 (55~59) 。 1866年海底電信によりアメリカ,ヨーロッパの2地点での太陽位置の同時観測の結果を比較し,両地点の経度差を決定。 68年アルゼンチンに招かれ,国立コルドバ天文台を創設,初代台長となって南天の星表作成に尽力した (84完成) 。また4等星より明るい恒星が銀河面に対し約 20度傾いた狭い帯 (グールド・ベルト) に沿って分布していることを明らかにし,局部恒星系の構造解明に貢献した (79) 。主著『アルゼンチン天体図』 Uranometria Argentina (79) 。

グールド
Gould, Glenn

[生]1932.9.25. トロント
[没]1982.10.4. トロント
カナダのピアニスト。 A.グェーロにピアノを学び,1955年デビュー。即興演奏にすぐれ,作曲家としても知られる。テンポやデュナーミクなど,まったく新しい現代的解釈を古典に持込んで話題を呼んだ。 64年以降コンサート活動を退いて録音のみに専心。

グールド
Gould, Jay(Jason)

[生]1836.5.27. ニューヨーク,ロックスベリー
[没]1892.12.2. ニューヨーク
アメリカの鉄道事業経営者,金融資本家。地金,株式などの投機で巨利を博した。 1863年サラトガ鉄道の支配人,68年イーリ鉄道の社長。南西部諸州の鉄道に投資してグールド組織をつくり,ウェスタン・ユニオン電信会社,ニューヨーク高架鉄道にも投資した。

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百科事典マイペディア 「グールド」の意味・わかりやすい解説

グールド

カナダのピアノ奏者。生地トロントの王立音楽院を12歳で卒業し,14歳でベートーベンの協奏曲を弾いてデビュー。1955年に22歳でデビュー・レコード,バッハの《ゴルトベルク変奏曲》を出し一躍注目を集めた。この年全米各地でのリサイタルでも大成功をおさめ,1957年からはヨーロッパ各地でもリサイタルを開き,カラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などと共演。しかし作品解釈の徹底に支障の多いコンサート活動に疑問をいだき,1964年からは演奏会を拒否。以後もっぱらレコーディング活動に力を注ぎ,J.S.バッハの作品を中心にテープ編集による独自のアプローチを続けた。生前は異端視されがちだったが,〈録音〉というメディアの可能性を先取りしたその演奏活動は近年あらためて注目を集めている。作曲家としても室内楽曲などを残し,著書も多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グールド」の意味・わかりやすい解説

グールド(Glenn Gould)
ぐーるど
Glenn Gould
(1932―1982)

カナダが生んだ最初の世界的なピアノ奏者。1964年以後は演奏会をいっさい拒否、もっぱら録音に専念した異色の演奏家である。トロント生まれ。トロント音楽院在学中の46年、トロント交響楽団と共演してカナダでデビュー、55年アメリカにデビューしてセンセーションをおこし、57年にはヨーロッパにデビューし国際的な名声を確立した。バッハの個性的な解釈は世界の楽界に強烈な衝撃を与えたが、衝撃が収まったあとでは、グールドの新解釈が音楽的な意味をもっていることが広く認められた。ルネサンス期から現代まで、さまざまなスタイルの鍵盤(けんばん)音楽作品をレパートリーにしていたが、バッハ演奏家としての仕事がもっとも傑出していた。

[岩井宏之]


グールド(Jay Gould)
ぐーるど
Jay Gould
(1836―1892)

アメリカの鉄道資本家。投機的な株式操作で悪名が高い。貧農の子として生まれる。無学だったが、鉄道株の取引から、1867年、東部の幹線鉄道であるエリー鉄道の取締役となった。バンダービルト(父)との争いのなかで不法な新株発行その他を行い、一般から非難され、同鉄道社長の座を追われた。しかし、巨富を手にした彼は、74年、大陸横断鉄道ユニオン・パシフィックの重役となり、次々と関連路線を買収し、「グールド系列」をつくりあげた。だがバンダービルト(子)らとの運賃値下げ合戦、84年の恐慌などで痛手を受け、力を失った。値下げは結果的に一般の利益となったが、その鉄道は整備やサービスが悪かった。

[長沼秀世]

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世界大百科事典(旧版)内のグールドの言及

【演奏】より

…同一の演奏を何回も再現できるレコードやテープは,コンサートでは聴きとれないような演奏の細部を拡大するため,演奏家は,1音符のミスもない正確な演奏をめざすようになった。そして20世紀後半に入ると,G.グールドのように,レコード録音でしか完璧な演奏はできないとし,コンサート活動をいっさい行わない演奏家も登場するようになった。また演奏の〈歴史主義〉は,1960年代から〈古楽〉と結びつき,中世やルネサンス時代の古い音楽を,当時の楽器やピッチ(音の高さ)や演奏習慣でそのまま再現することが広く行われるようになった。…

【音楽】より

…テープやレコードの高度な録音技術の発達は,演奏のスタイルも変質させ,演奏家たちの主要な関心は,音楽作品の全体よりもむしろ細部に向けられるようになり,精緻で正確なスタイルが好まれるようになった。ピアニストのG.グールドは,コンサートでは不正確な演奏しか可能でないと明言し,コンサートの形式を拒否して,何度も録音を取り直しながら完璧な演奏を目ざしてレコーディングに専念した。大衆社会の登場とともに出現したレコードは,〈今,ここで〉という音楽行為の一回性を否定し,W.ベンヤミン流に言えば〈アウラaura〉の消滅した新しい複製芸術のあり方を示している。…

※「グールド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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