クラシック音楽の用語で、もっとも一般的には、独奏楽器あるいは独奏楽器群とオーケストラ(管弦楽)のための楽曲をさす。コンチェルトともいい、語源的には「競い合う」と「一致させる」の対照的な意味があり、協奏曲はこの二面性を有している。
音楽用語としてのコンチェルトは、16世紀に声楽曲を含むアンサンブル(合奏)楽曲を意味する漠然としたことばとして使用され始め、18世紀に入ってもなおこの意味での用例は存続した。ある一定の様式的共通性をもった器楽の協奏曲という、後の限定的な意味に向かい始めるのは17世紀末ごろのことである。それは17世紀中葉からしだいにバイオリン楽団(オーケストラ)がイタリアに確立されていったことと関係があり、コンチェルトはオーケストラ音楽の最初の曲種として祭典や演奏会(コンサート)の重要な出し物となる。独奏楽器のない「オーケストラのためのコンチェルト」も一般的であったが、やがて協奏曲の本質的特徴である独奏楽器とオーケストラという組合せが確立されると、独奏楽器のないタイプはシンフォニア(交響曲)とよばれることが多くなって、コンチェルト(協奏曲)と分岐し、それら両ジャンルの峻別(しゅんべつ)がおきる。
[大崎滋生]
独奏者の存在という特質は、公的な音楽演奏の出し物として人々の注目を集めるビルトゥオーソvirtuoso(巨匠・名人)の登場が促されたという側面と、バイオリンの名手の絶対数が不足していたという事情があいまって発生した。そうして、名手たちの小合奏と全員による大合奏の、すなわち主役たちとその他大勢の、対比というドラマ性を特色とする、合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソconcerto grosso)の様式が確立された。これは、コレッリやトレッリ、さらにビバルディ(1678―1741)らイタリア人音楽家たちによってはぐくまれ、その様式はテレマンやヘンデル、バッハらに伝播(でんぱ)した。場合によっては、独奏楽器一つということもあり、そのタイプ、独奏協奏曲(ソロ・コンチェルトsolo concerto)は名人芸を究める方向へ発展していく。ビバルディの470曲の協奏曲のうち、独奏楽器のないタイプが61曲、そして合奏協奏曲は73曲であるのに対して、独奏協奏曲は336曲あり、さらにそのうち222曲がバイオリン協奏曲であることに、初期の時代の推移がみてとれよう。その後、18世紀序盤を過ぎたころまでに、独奏楽器のないタイプと合奏協奏曲は完全に駆逐される。
[大崎滋生]
一方、18世紀のオーケストラは独奏者たちの集合という側面をもっており、また協奏曲がコンサートの中核的演目であったため、独奏協奏曲の独奏楽器はバイオリンを中心としながらも、ほぼあらゆる楽器に及んでいく。またその過程で、(1)演奏技巧の見せ場であり、重厚で、全体の中心である、中庸または急速なテンポの第1楽章、(2)一転して感情表現力もあるところをみせる、緩徐なテンポの第2楽章、(3)活気に富んで全体を締めくくる最急速のテンポの第3楽章、という時代を超えて比較的維持された3楽章構成という特質も確立されていく。
独奏協奏曲への一元化が終了した段階で、18世紀中盤以降パリを中心に、複数の独奏楽器による協奏交響曲(サンフォニー・コンセルタントsymphonie concertante)が一時的に流行する。これは、オペラ上演が禁じられる四旬節期間における人気コンサートに殺到した独奏者たちを限られた時間内に処理しなければならないために、何人か組みで演奏させるという便宜的措置によって生まれたものであった。
のちに協奏曲の代名詞ともなるピアノ協奏曲は、その源流を1730年代後半以降に現れるチェンバロやオルガンのための協奏曲にみることができるが、1780年代のモーツァルトの17曲において決定的な重要性を獲得する。ピアノの時代の到来とともに、ピアノ協奏曲の創作と演奏が音楽活動の中心に位置する時期が訪れた。19世紀が経過するほどに、ピアノ協奏曲と、主役の座から降りたとはいえバイオリン協奏曲と、ことに19世紀後半から目だってくるチェロ協奏曲の3種に、協奏曲はほぼ限られるようになっていく。
[大崎滋生]
20世紀においては、コンサート音楽を新たに創作するという局面での協奏曲の重要性は相対的に大きく後退したが、主として演奏家に委嘱されて、さまざまな楽器のために新作を提供する作曲家たちもいた。独奏協奏曲の創作は、作曲家ひとりのなかで完結するものではなく、演奏会という音楽生活の伝統のなかにあって、演奏家との協働作業という側面ももっている。したがって、前衛的傾向をとる人々にあっても、この伝統的な音楽形式とのかかわりはときにみられ、今日までレパートリーに新作が加えられ続けている。また、合奏協奏曲や協奏交響曲の名称が復活されることもある。
[大崎滋生]
『CDブック『クラシック・イン第2巻/四大協奏曲』(1989・小学館)』▽『高橋昭著『CD名曲名盤100 協奏曲』(1994・音楽之友社)』▽『音楽之友社編・刊『クラシック名曲ガイド3 協奏曲』(1995)』▽『『クラシック名盤大全 協奏曲篇』(1998・音楽之友社)』▽『宇野功芳著『協奏曲の名曲・名盤』(講談社現代新書)』▽『G・フェルショー著、横山一雄訳『協奏曲』(白水社・文庫クセジュ)』
単数または複数の独奏楽器とオーケストラからなり,両者の対比と調和を構成原理としつつ,多かれ少なかれ独奏者の演奏技巧を発揮させるように作られた楽曲。かつては競奏曲とも書いた。原語のコンチェルトは動詞concertareに由来するが,この語はラテン語で〈競い合う〉,イタリア語で〈協調させる〉という意味をもち,楽曲形式としてのコンチェルトがどちらの意味から来ているかは明らかでない。むしろ,協奏曲は〈競合〉と〈協調〉という二重の契機によって成り立つと考えるべきであろう。原理的にはこの両契機を内包する楽曲が,広くコンチェルトと呼ばれ,17~18世紀前半には,声と楽器,小合唱と大合唱の競合・協調を特徴とする声楽曲に対してもコンチェルトという名称が与えられた(教会コンチェルト,宗教的コンチェルトなど)。これを声楽コンチェルトという。
しかし,日本語の〈協奏曲〉という言葉はもっぱら器楽協奏曲に対して用いられ,形式的には急・緩・急の3楽章構成をとるのが最も普通である。
協奏曲の種類は独奏楽器の数と種別によって分けられる。器楽協奏曲のうち,歴史的に最も古いのは合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソconcerto grosso)で,三つ以上の楽器を含む独奏群(これは元来〈小協奏部〉コンチェルティーノconcertinoと呼ばれた)と弦楽またはそれを主体とする合奏群(これは元来〈大協奏部〉concerto grossoと呼ばれた)とからなり,両者のあいだで音量や音色の対比が求められる。これに対して,18世紀の中ごろから主流を占めるのが単一の独奏楽器とオーケストラからなる独奏協奏曲(ソロ・コンチェルトsolo concerto)で,独奏楽器の種別に応じてピアノ協奏曲,バイオリン協奏曲,フルート協奏曲などと呼ばれる。これらの場合には独奏者の華麗な技巧が特に強調され,オーケストラは対等の相手というより,単なる引立て役として伴奏の地位に甘んじることも少なくない。さらに,独奏者が2人の場合は二重協奏曲と呼び,3人の場合でも,各楽器の独立性が高いときは,合奏協奏曲と区別して,特に三重協奏曲という。また協奏曲の中には,独奏群と合奏群の区別が不明確で,曲の進行に応じてオーケストラの中の楽器が随時独奏を引き受けたり,楽器群どうしが協奏様式で対抗するものがあり,これをオーケストラ・コンチェルトとかコンチェルト・シンフォニアconcerto sinfoniaと呼ぶことがある。これはバロック時代に特有のものだが,現代においてもバルトークの《管弦楽のための協奏曲》(1940)にその一例を見ることができる。18世紀後半から19世紀初頭にかけては,交響曲の中で複数の独奏楽器が活躍するものがあり,これは協奏交響曲(フランス語でサンフォニー・コンセルタントsymphonie concertante)と呼ばれた。
異質なものの対比に基づく協奏という原理は,まず16世紀末のベネチア楽派で音色や強弱の対比となって現れ(たとえばG. ガブリエリの《ピアノとフォルテのソナタ》1597),その後バロック時代を通じて音楽の最も基本的な構成原理となった。このような響きの異質性こそが,同質的な響きの調和を理想としたルネサンス時代とは異なる,バロック音楽に特有の音響像であり,この音響像を器楽の分野で一定の楽曲形式へと結晶させたものが協奏曲にほかならない。その最初の成果が1680年ころに書かれたコレリの《合奏協奏曲集》(作品6)で,二つのバイオリンとチェロからなる独奏群が弦楽合奏の合奏群と競合・協調するように作られている。他方,独奏協奏曲は,トレリの先駆的な試みを経て,ビバルディの最初の協奏曲集《調和の幻想》(作品3。1711出版)において確立される。その特徴は,第1に急・緩・急という3楽章形式を定式化して急速楽章において独奏者の妙技を十分発揮させたこと,そして第2には,両端の楽章で独奏(ソロsolo)と総奏(トゥッティtutti)が規則的に交代するリトルネッロritornello形式を確立,コレリにおいてはいまだ流動的であった形式に明快な彫塑性を与えたことである。ビバルディはまた,作品8に含まれる有名な《四季》(1725出版)のように,標題的な協奏曲においても新分野を開拓した。ドイツの協奏曲もイタリアの影響から出発し,ヘンデルはコレリ型の合奏協奏曲を,バッハはビバルディ型の独奏協奏曲をさらに発展させた。とくに後者の《ブランデンブルク協奏曲》BWV1046~51(1716-21)はバロック協奏曲の総決算ともいうべき位置を占めている。
古典派の時代になると,前記の協奏交響曲の例はあるにせよ,独奏協奏曲が完全な主導権を握った。全体としてはビバルディ型の3楽章形式を継承しつつも,リトルネッロ形式をしだいに放棄して,ソナタや交響曲と同じように,第1楽章でソナタ形式を採用するようになった。しかし協奏曲には独奏楽器とオーケストラが存在するから,まずオーケストラが主題を提示したのち,独奏がそれを反復するという形になった。これを二重提示部といい,このような協奏曲特有のソナタ形式を特に協奏ソナタ形式と呼ぶことがある。モーツァルトにはピアノ,バイオリン,フルート,クラリネットなど多くの協奏曲があるが,《戴冠式》(K537。1788)をはじめとするピアノ協奏曲がとりわけ重要である。ベートーベンはモーツァルトで拡充されたオーケストラを背景にして,《バイオリン協奏曲》(作品61。1806)や《皇帝》(作品73。1809)などのピアノ協奏曲においてソロの演奏技巧を飛躍的に高め,有機的な主題展開による密度の高い構成と劇的な表現を調和させた。
ロマン派になると,協奏曲はソロの名人芸を強調するものと,オーケストラとの有機的な関連のうちで音楽的内容の豊かさを重視するものの2傾向に分かれる。前者のすぐれた例にはパガニーニのバイオリン協奏曲やリストのピアノ協奏曲があり,後者はブラームスのピアノ協奏曲やバイオリン協奏曲によって代表されよう。しかし,協奏曲というものは常にソロの妙技とオーケストラの対比・協調を基盤とし,名曲とされるものはいずれも,両者のあいだで各個各様のバランスを保っているのである。19世紀の傑出したピアノ協奏曲には,前記のほかシューマン,ショパン,チャイコフスキー,グリーグなどのものが,バイオリン協奏曲にはメンデルスゾーン,チャイコフスキー,ドボルジャークなどのものがある。
20世紀に入っても,ラフマニノフのピアノ協奏曲,シベリウスやグラズノフのバイオリン協奏曲のようにロマン主義的色彩の濃厚なものもあるが,第1次大戦以後,シェーンベルク,ベルク,バルトーク,プロコフィエフなどの手で新しい感覚とさまざまな技法による協奏曲が生み出される。第2次大戦以後は,〈セリー音楽〉や〈偶然性の音楽〉の登場によって伝統的な形式は大幅に発言権を失い,ソナタや交響曲と同様,協奏曲と名づけられた作品も少なくなるが,たとえ表題に現れていなくとも,協奏という原理そのものは,さまざまな衣装をまとって多くの作品の中で生きつづけているといえよう。
執筆者:角倉 一朗
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…これは異質なものの対比を強調するもので,16世紀末のベネチア楽派から芽生え,イタリアだけでなく,シュッツをはじめとするドイツの教会音楽でも用いられた。コレリやビバルディの手で完成された器楽の協奏曲は,この原理を明快な形式へ結晶させたもので,バロック時代の最も重要な器楽形式になった。声楽においても器楽においても,バロック時代にはそれぞれの表現媒体に固有な語法(イディオム)が確立し,それに伴って演奏技巧の飛躍的な進歩が見られたが,18世紀前半のバロック後期になると,媒体間でイディオムの交換が行われ,各ジャンルの表現力が一段と豊かになった。…
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