フィリピン北部、ルソン島中西部、マニラ市の北東に隣接する都市。大マニラ首都圏の一部を構成する。人口217万3831(2000)。1938年から新首都として計画的に建設され、48年から28年間、フィリピンの首都であった。市名は、アメリカ統治下の自治政府フィリピン・コモンウェルスの初代大統領マヌエル・ケソンにちなむ。市の中央にケソン記念碑がそびえ、それを囲んで環状に官庁が集まっている。国立フィリピン大学、アテネオ・デ・マニラ大学や病院、研究所、造幣局などの公共機関も多いが、主として中級住宅地が広がっている。1976年に首都の名をマニラに返したが、国民議会の議事堂は市の北部にある。マニラ首都圏への人口集中が進むなかで急激な人口増加を示しており、1948年に10万、60年に40万であったが、80年に116万、2000年には217万に及んでいる。クバオが中心商店街である。
[高橋 彰]
フィリピン,マニラ市とその北東マリキナ谷との間の低い丘陵地帯に位置する衛星都市。人口217万(2000)。1939年にマニラに隣接するリサール州の4町(カロオカン,マリキナ,パシッグ,サン・フアン・デル・モンテ)の一部が分離・統合されて誕生(当時の人口は4万人弱),当時の大統領M.L.ケソンにちなんで命名された。48年にフィリピン共和国の公式首都に定められ,市中央部に立つケソン記念塔周辺に広大な用地を確保,マニラからの官公庁移転が計画された。しかし移転はあまり進まなかった。75年にマニラ,ケソン・シティを含む4市13町が統合されてマニラ首都圏(メトロ・マニラ)が誕生し,翌76年に首都はその機能が残されたままのマニラに戻された。この間に住宅開発とフィリピン大学,アテネオ・デ・マニラ大学など学園移転が大いに進み,カムニン,サン・フランシスコ・デル・モンテなどの中・上級住宅団地,ディリマン一帯の学園・住宅コンプレクス,クバオの一大ショッピング・センターが形成された。
執筆者:梅原 弘光
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