ケーベル(読み)けーべる(英語表記)Raphael von Koeber

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケーベル」の意味・わかりやすい解説

ケーベル
けーべる
Raphael von Koeber
(1848―1923)

ドイツの哲学者。ドイツ系ロシア人の高級官僚の子として帝政ロシアの古都ニジニー・ノブゴロド(現、ゴーリキー市)に生まれる。1867年モスクワ音楽院に入学、ピアノをルビンシュテインNikolai Grigoryevich Rubinstein(1835―1881)に習った。1872年優秀な成績で同音楽院を卒業したが、生来の内気な性格から音楽家としてたつことを断念して、翌1873年ドイツに留学、イエナ大学、ハイデルベルク大学で哲学、文学を専攻した。1880年F・シェリングの人間的自由に関する論文学位を得、1884年『ハルトマンの哲学体系』、1888年『ショーペンハウエルの哲学』を出版した。1893年(明治26)帝国大学文科大学(後の東京帝国大学文学部)の哲学教師として来日。哲学概論、ギリシア哲学中世および近世哲学史、キリスト教史、カントヘーゲルに関する特殊講義といった哲学科目と、西洋古典語、ドイツ語、ドイツ文学を講義し、その間、東京音楽学校でピアノの教授も行った。21年間の東京帝国大学在職中、ケーベルは賜暇帰国などで講義を中断することもなく、文字どおり一身を講義と学生指導に捧(ささ)げた。1914年教壇を去ってドイツへ帰国しようとしたが、第一次世界大戦で帰国不可能となり、横浜の友人宅に9年間寄寓(きぐう)したまま、同所で逝去した。芸術家の感性資質に満ちたケーベルは、同時に哲学教師としてギリシア的自由の精神とキリスト教的敬虔(けいけん)の体現者として、彼の講筵(こうえん)に連なった波多野精一(はたのせいいち)、和辻哲郎(わつじてつろう)、魚住影雄(うおずみかげお)(折蘆(せつろ))、橘糸重(たちばないとえ)(1879―1939)ら多くの学生に深い感銘を与えた。

[田代和久 2018年8月21日]

『深田康算・久保勉訳『ケーベル博士小品集』(1919・岩波書店)』『久保勉訳『ケーベル博士小品集、続』(1923・岩波書店)』『久保勉訳『ケーベル博士小品集、続々』(1924・岩波書店)』『久保勉訳『ケーベル博士随筆集』(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケーベル」の意味・わかりやすい解説

ケーベル
Koeber, Raphael

[生]1848.1.15. ニジニーノブゴロド
[没]1923.6.14. 横浜
ロシア生れのドイツの哲学者。 1867~82年モスクワ音楽院で音楽を学び,のちドイツのイェナ,ハイデルベルク両大学で哲学と文学を学んだ。 93年,東京帝国大学の教官として来日,哲学を講じ,1914年まで在任した。彼のキリスト教的汎神論の学風に裏づけられた高潔な人格は,西洋古典の教養と相まって,大正期の日本の学徒,知識人に大きな影響を与えた。主著"Schellings Lehre über die menschliche Freiheit" (1880) ,"Das philosophische System E. von Hartmanns" (84) ,"Die Philosophie A. Schopenhauers" (88) ,『ケーベル博士随筆集』 Kleine Schriften (3巻,1918~25) 。

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