ドイツの哲学者。ドイツ系ロシア人の高級官僚の子として帝政ロシアの古都ニジニー・ノブゴロド(現、ゴーリキー市)に生まれる。1867年モスクワ音楽院に入学、ピアノをルビンシュテインNikolai Grigoryevich Rubinstein(1835―1881)に習った。1872年優秀な成績で同音楽院を卒業したが、生来の内気な性格から音楽家としてたつことを断念して、翌1873年ドイツに留学、イエナ大学、ハイデルベルク大学で哲学、文学を専攻した。1880年F・シェリングの人間的自由に関する論文で学位を得、1884年『ハルトマンの哲学体系』、1888年『ショーペンハウエルの哲学』を出版した。1893年(明治26)帝国大学文科大学(後の東京帝国大学文学部)の哲学教師として来日。哲学概論、ギリシア哲学、中世および近世哲学史、キリスト教史、カントやヘーゲルに関する特殊講義といった哲学科目と、西洋古典語、ドイツ語、ドイツ文学を講義し、その間、東京音楽学校でピアノの教授も行った。21年間の東京帝国大学在職中、ケーベルは賜暇帰国などで講義を中断することもなく、文字どおり一身を講義と学生指導に捧(ささ)げた。1914年教壇を去ってドイツへ帰国しようとしたが、第一次世界大戦で帰国不可能となり、横浜の友人宅に9年間寄寓(きぐう)したまま、同所で逝去した。芸術家の感性と資質に満ちたケーベルは、同時に哲学教師としてギリシア的自由の精神とキリスト教的敬虔(けいけん)の体現者として、彼の講筵(こうえん)に連なった波多野精一(はたのせいいち)、和辻哲郎(わつじてつろう)、魚住影雄(うおずみかげお)(折蘆(せつろ))、橘糸重(たちばないとえ)(1879―1939)ら多くの学生に深い感銘を与えた。
[田代和久 2018年8月21日]
『深田康算・久保勉訳『ケーベル博士小品集』(1919・岩波書店)』▽『久保勉訳『ケーベル博士小品集、続』(1923・岩波書店)』▽『久保勉訳『ケーベル博士小品集、続々』(1924・岩波書店)』▽『久保勉訳『ケーベル博士随筆集』(岩波文庫)』
(中島国彦)
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哲学者。ドイツ系ロシア人の子としてロシアに生まれ,モスクワ音楽学校を卒業。その後ドイツのイェーナ,ハイデルベルクの両大学で哲学・文学を学び,1882年ショーペンハウアー論で学位を取得した。93年来日して東京帝国大学の哲学教師となり,1914年まで在職。退職後も横浜にとどまって数多くの随筆を書く。幅広い教養と高潔な人格とにより,大正期の教養主義思潮に深い影響を与えた。《ケーベル博士小品集》(1919-24)がある。
執筆者:生松 敬三
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1848.1.3~1923.6.14
明治期に来日した哲学者・音楽家。ドイツ系ロシア人としてモスクワでピアノを学んだのち,ドイツに留学してショーペンハウエルに関する論文で学位を得た。1893年(明治26)帝国大学で教鞭をとるため来日。1914年(大正3)まで西洋哲学などを講じ安倍能成(よししげ)・宮本和吉らを育てた。東京音楽学校でピアノの指導にもあたった。大正教養主義の形成に寄与し,退職後は横浜に寄寓して同地で死去した。
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