哲学者。旧金沢藩士の長男として東京・牛込(うしごめ)に生まれる。1896年(明治29)帝国大学哲学科を卒業、第一高等学校教授となる。『哲学概論』(1900)は日本人の手になる最初の哲学概論書である。1906年(明治39)京都帝国大学教授に転じ、ヨーロッパ留学を経て1914年(大正3)東京帝国大学教授。以後1935年(昭和10)に定年退官するまで、長く同大学哲学科を主宰し、京大の西田幾多郎(にしだきたろう)、東北帝国大学の高橋里美(たかはしさとみ)と並び称された。またその間、社会問題にも深い関心をもち、黎明会(れいめいかい)や唯物論研究会に名を連ねるなど、文化主義の立場から多くの発言を残している。第二次世界大戦後、貴族院議員に選ばれた。カントを玄妙深遠なものと解する当時の学界の傾向のなかで、「物自体」を形而上(けいじじょう)的実体や絶対者ではなく「価値」であると理解するなど、早くからカントの認識論の意味を洞察し、『カントと現代の哲学』(1917)などにおいて本格的な研究を展開した。
[渡辺和靖 2016年8月19日]
明治〜昭和期の哲学者 東京帝大教授;京都帝大教授;貴院議員。
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…感覚されうる個物の原型・範型としての形相,主観的な表象ないし観念の両義のほか,カント以降のドイツ哲学では理性概念として独特の意義づけをこうむる。20世紀初頭,桑木厳翼は理性観念すなわちイデーを〈理念〉と訳した。カントは理性が現象界を超越する傾向は認めるが,理論的認識を感性の直観形式(時間,空間)と悟性概念(カテゴリー)との及びうる現象界に制限し,理性の構想する概念すなわち理念は,〈あたかも〉実在する〈かのように〉全現象界に最高の統一を与えこれを統制する仮説であるとし,旧来の形而上学の主題の神・不死・自由をこのような理念とみなした。…
…ここに理想の追究ないし理念の実現を目ざす理想主義が近世の観念論の一つの型となり,フィヒテの倫理的観念論を代表とする。日本では左右田喜一郎と桑木厳翼とがカントとリッケルトの観念論を文化主義として継承した。【茅野 良男】
[インドの観念論]
インド思想の一般的な特徴は,それが必ずなんらかの宗教体験の上に立って展開されているということであり,この点をはずしてそれが観念論か否かを問うのは危険である。…
…
[日本におけるプラグマティズム]
以上パース,ジェームズ,デューイの思想を通してプラグマティズムを概観してきたが,そのプラグマティズムが最初に日本にはいったのは1888年で,元良(もとら)勇次郎によるデューイの心理学の紹介にはじまっているようである。その後,93年には元良がこんどはジェームズの心理学を紹介し,1900年にはイェール大学の心理学教授G.H.ラッドが来日して,ジェームズの心理学について講演し,その翌年桑木厳翼がジェームズの《信ずる意志》の思想を紹介した。なお,ジェームズの〈直接経験〉〈純粋経験〉の思想は西田幾多郎,田辺元,出隆らに影響を与えている。…
※「桑木厳翼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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