ポルトガル中西部、ベイラ・リトラル地方の中心都市。モンデーゴ川中流部に位置する。人口10万9700(2001推計)。街の中心をコインブラ大学が占める。旧大学図書館や教会などの歴史的建造物が多く、文芸の都としてアテネやフィレンツェにも比べられる。市街北西部のサンタクルス修道院(12世紀創建)付近は下町情緒にあふれ、大学の研究者が闊歩(かっぽ)する旧市街とは対照をなす。近年、モンデーゴ川に沿って東西に産業地域が拡大し、在来の出版業のほかに、繊維、製陶、食品(ビール、パスタ)など、工業の発達が著しい。
[田辺 裕・柴田匡平]
ローマ時代のコインブラは、現在のリスボンとブラガを結ぶ街道の中継点として栄えていたコニンブリガConimbrigaの一周辺集落にすぎなかった。しかし、5世紀スエビ人の侵略でコニンブリガが滅びると、この周辺集落アエミニウムAeminiumがコインブラとよばれるようになった。716年イスラムの支配下に入り、1064年キリスト教徒に回復された。以後ポルトガルのレコンキスタ(国土回復戦争)の本拠地となり、ポルトガルの独立(1143)から約1世紀間はポルトガル王国の首都として繁栄した。1290年に創設されたコインブラ大学は最初リスボンにあったが、1537年最終的にコインブラに定着した。1911年にリスボンとポルトに新たに大学が創設されるまでは、王国唯一の大学都市としてその特権的地位を保持した。
[金七紀男]
ポルトガル中部,中部沿岸地方の中央に位置する同名県の主都。人口7万1782(1981)。モンデーゴ川右岸の丘陵を中心に発展した大学都市。ローマ時代すでにアエミニウムAeminiumとして知られる。スエビ族侵略により崩壊したコニンブリガConímbrigaの司教座が6世紀末当地に移され,以来司教座名が変化してコインブラとなる。イスラム支配下ではヒスパニア西方のモサラベ文化の一大中心地として繁栄。1064年カスティリャ王フェルナンド1世により奪回され,同市は国土回復戦争の重要な拠点となる。ポルトガル建国直後は王国の首都となり,1290年リスボンに創設された大学が数回の移転の後,1537年同市に設置されて以来,ポルトガルの文教・芸術の中心地となる。このコインブラ大学はヨーロッパ最古の大学の一つで,詩人カモンイスら多くの文人,学者が学んだ。旧市街には旧聖堂,大学の鐘塔,ジョアニーナ図書館等歴史的建造物が多く,中世の城郭都市の面影を色濃く残している。リスボン~ポルトの中間に位置し,交通の要地,県内の行政・商工業の中心地としても重要である。
執筆者:彌永 史郎
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…その基準とした人口10万以上の都市は合計12,首都リスボンの68万,ポルトの31万,ビラ・ノバ・デ・ガイアの25万で,他の9都市はすべて10万台である。これら10万以上の都市はコインブラ,ブラガを除くとみな海岸部に位置しており,近年この海岸部への人口集中が急速に進んでいる。1991年現在77.7%の人口が海岸部に集中し,内陸部の人口はますます希薄になっている。…
※「コインブラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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