日本大百科全書(ニッポニカ) 「コスイギン」の意味・わかりやすい解説
コスイギン
こすいぎん
Алексей Николаевич Косыгин/Aleksey Nikolaevich Kosïgin
(1904―1980)
ソ連の政治家。2月21日サンクト・ペテルブルグの旋盤工の家庭に生まれる。赤軍従軍後、1927年シベリアの消費組合で活動中に入党。1935年レニングラード(ペテルブルグ)繊維大学卒業、繊維工場勤務を経て、1938年にレニングラード市長。1939年1月繊維工業人民委員として初入閣。翌1940年副首相。1943年からロシア共和国首相、ソ連蔵相、軽工業相などを兼務。党でも1946年に政治局員候補、1948年に政治局員。1953年3月のスターリンの死後、一時、最高指導部を離れるが、まもなく返り咲き、1960年には第一副首相兼党中央委幹部会員。1964年10月のフルシチョフ解任後、首相に就任。利潤方式の導入による経済改革や消費物資の増産、インド・パキスタン紛争の調停(1966)、ジョンソン米大統領との会談(1967)、周恩来(しゅうおんらい/チョウエンライ)中国首相との会談(1969)などによる国際緊張の緩和に努める。1970年代末、健康状態の悪化により1980年10月、首相と党政治局員の地位を去り、同年12月18日死去。晩年は、ソ連の経済成長率の低下、米ソ関係の悪化、ブレジネフの権力強化などにより影が薄かった。
[中西 治]