ソ連の政治家。ウクライナ生まれのロシア人。ドニエプロペトロフスク冶金(やきん)大学卒業。1940年共産党入党。初め技師として働く。製鉄関係の諸任務を経て中央の経済機関に進出。1963年ゴスプラン(国家計画委員会)副議長、1965年副首相、1966年党中央委員、1976年第一副首相、1978年党政治局員候補と順調な昇進を遂げた。若き日のドニエプロペトロフスク(現、ドニプロ)時代以来のブレジネフとの縁故によるものといわれる。1979年11月党政治局員となり、1980年10月コスイギンにかわってソ連邦首相となった。しかし1985年ゴルバチョフによって解任された。
[塩川伸明]
ソ連の詩人。純芸術主義的傾向の強い文学団体「セラピオン兄弟」の出身。国内戦には赤軍志願兵として参加、しだいに革命的、愛国的精神に満たされた作品を書く。処女詩集は『軍団』(1922)で、初期の作品『青い紙包みのバラード』『釘(くぎ)についてのバラード』(1922)などは、国内戦時代のヒロイズムを歌い上げている。『キーロフわれらとともに』(1941)、『レニングラード物語』(1942)は第二次世界大戦中のソ連人民の戦いを歌う記念碑的作品。戦後は平和運動の要職を務めた。
[草鹿外吉]
ロシア・ソ連邦の詩人,社会活動家。小市民の出身で,ペテルブルグの商業学校を出た。1915年から第1次世界大戦に参加,その後18年から22年にかけて赤軍志願兵として戦った。かつては文学グループ〈セラピオン兄弟〉に属していたが,十月革命後は革命的ロマンティシズムにあふれた処女詩集《大群集》(1922)を出した。とくに第2次世界大戦中の独ソ戦で包囲されたレニングラードの戦いを歌った叙事詩《キーロフ,われらとともに》(1941)は有名。戦後は《グルジアの春》(1948-49),《第2回世界平和大会で》(1951),新中国をテーマにした《緑の大地の五つの星》(1961)などの詩集がある。しかし,戦後は詩人としてよりも平和運動の活動家としてのほうが有名であった。
執筆者:木村 浩
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