コボ
Bernabé Cobo
生没年:1580-1657
スペイン人聖職者,クロニスタ(年代記作者)。15歳で故国を離れ,イスパニオラ島や中央アメリカを経て,1599年にペルーへ渡る。1601年イエズス会に入り,クスコで司祭に叙品。ペルー副王領を広く旅し,インカ帝国に関する情報を収集。中米を横断してメキシコを訪れ,ペルーに帰還後《新世界史Historia del Nuevo Mundo》(1653)を完成。3部43巻の大著で,現存するのは第1部14巻(アメリカの自然およびインディオについて)とリマ市建設の歴史を記した第2部の3巻のみであるが,文化人類学の研究資料として貴重である。
執筆者:染田 秀藤
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
コボ
没年:1592.11(1592.11)
生年:生年不詳
スペイン人ドミニコ会士。トレド県コンスエグラ生まれ。オカニャでドミニコ会に入る。アビラの聖トマス修道院で教師をしていたとき,東洋布教を志し,1588年フィリピンに渡り,中国語を学び,中国語の公教要理を編纂した。文禄1(1592)年4月豊臣秀吉が原田孫七郎をフィリピンに派遣し入貢を促したので,同地の総督ペレス・ダスマリニャスの要請により,書状を携えて同年6月薩摩に上陸,肥前名護屋(佐賀県東松浦郡鎮西町)で秀吉に謁した。帰任途中台湾沖で遭難し,島民により殺害された。<参考文献>C.ニエト著,久富紀子訳『ドミニコ会の愛と受難』,D.Aduarte 《Historia de la Provincia del Santo Rosario de la Orden de Predicadores en Filipinas,Japo´n y China》Ⅰ
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
Sponserd by 
コボ Cobo, Juan
1546-1592 スペインの宣教師。
ドミニコ会士。1588年フィリピンにわたり布教。天正(てんしょう)20年フィリピンに入貢を要求した豊臣秀吉への答礼使として,マニラ総督ペレス=ダスマリニャスから派遣され来日,肥前名護屋(佐賀県)で秀吉と会見。帰路台湾の沖で遭難,1592年11月同島の住民に殺害された。46歳。トレド出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
普及版 字通
「コボ」の読み・字形・画数・意味
【鈷
】こぼ
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
Sponserd by 