中村不折(読み)ナカムラフセツ

デジタル大辞泉 「中村不折」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐ふせつ【中村不折】

[1866~1943]洋画家書家江戸の生まれ。本名鈼太郎さくたろうフランスに留学したのち、太平洋画会参加歴史画を多く描いた。また、東京根岸書道博物館を設立

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精選版 日本国語大辞典 「中村不折」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐ふせつ【中村不折】

  1. 洋画家。東京出身。本名鈼太郎。はじめ小山正太郎に学ぶ。パリに留学。帰国後、太平洋画会会員となり、同会の代表的画家として文展で活躍。また、書道にも深い関心を示し、その収集を基礎として書道博物館を創立した。慶応二~昭和一八年(一八六六‐一九四三

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20世紀日本人名事典 「中村不折」の解説

中村 不折
ナカムラ フセツ

明治〜昭和期の洋画家,書家



生年
慶応2年7月10日(1866年)

没年
昭和18(1943)年6月6日

出生地
江戸・京橋

出身地
長野県

本名
中村 鈼太郎(ナカムラ サクタロウ)

別名
別号=孔固亭,豪猪先生,環山

経歴
少年時代、父の郷里・長野高遠町で真壁雲郷に南画を学んだ。明治20年上京、十一字会研究所に入り、洋画家小山正太郎、浅井忠らに師事。明治美術会に出品。また正岡子規の世話で日本新聞社で日本初の新聞挿絵を描いた。34年渡仏、ラファエルコランデッサンを、ジャン・ポール・ローランスに人体表現を学び、38年帰国。太平洋画会に属し、歴史画を多く描く傍ら、太平洋美術学校長、美術協会幹事、審査員を務めた。森鷗外、夏目漱石ら作家と交流、小説の挿絵も描いた。また40年の文展開設以来委員、審査員を務め、大正8年には帝国美術院会員、昭和12年帝国芸術院会員となった。代表作は「賺蘭亭図」「羅漢図」「廓然無聖」「邯鄲(盧生の夢)」などがある。一方書道でも日下部鳴鶴前田黙鳳に伍して談書会を組織、健筆会を結成、六朝書の研究に取り組んだ。泰東書道院学術顧問を務め、昭和11年書に関する中国の古文物1万余点を納めた書道博物館を東京・根岸の自宅に設立、書道普及にも尽力した。著書に「六朝の書法」「学書三訣」、自伝「僕の歩いた道」がある。

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百科事典マイペディア 「中村不折」の意味・わかりやすい解説

中村不折【なかむらふせつ】

洋画家。信濃高遠の出身。本名【さく】太郎。南画家真壁雲卿に学んだのち,十一会(のちの不同舎)で小山正太郎浅井忠に師事し,1901年渡仏,コラン,J.P.ローランスに学んだ。帰国後は太平洋画会に入り,太平洋画学校校長になる。書の収集研究家でもあった。作品《建国剏業》ほか
→関連項目石井柏亭井上長三郎川口軌外中村彝根岸ローランス

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改訂新版 世界大百科事典 「中村不折」の意味・わかりやすい解説

中村不折 (なかむらふせつ)
生没年:1866-1943(慶応2-昭和18)

洋画家。東京に生まれる。本名鈼太郎(さくたろう)。青少年期を長野で過ごし,1887年上京。小山正太郎,浅井らが主宰した十一字会研究所で洋画を学ぶ。明治美術会に出品したり,浅井忠の推薦で陸羯南の〈日本新聞社〉で挿絵を手がけるが,1901年から05年までフランスへ留学。はじめR.コランに,その後J.P.ローランスに師事して歴史画の伝統的な手法を修得。また留学中にロダンと接触をもった最も早い時期の日本人のひとりでもある。帰国後は黒田清輝の白馬会系に対立した太平洋画会系の中心的な画家として活躍。同会研究所で指導し,そこから中村彝(つね),万鉄五郎らの優れた画家が育った。東洋美術や書道にも造詣が深く,36年,東京根岸に書道博物館を開設した。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村不折」の意味・わかりやすい解説

中村不折
なかむらふせつ
(1866―1943)

洋画家、書家。慶応(けいおう)2年7月10日江戸に生まれる。本名鈼太郎(さくたろう)。幼時に父の郷里長野県に移るが絵をよくし、南画と洋画の初歩を学ぶ。1887年(明治20)上京して十一会研究所(のち不同舎)で小山正太郎(こやましょうたろう)に師事する。1900年パリ万国博覧会に出品して受賞、翌年渡仏してコラン、ついでローランスに学び、05年帰国して太平洋画会会員となる。07年東京府勧業博覧会ならびに第1回文展の審査員。19年(大正8)帝国美術院会員、34年(昭和9)太平洋美術学校校長となる。書でも知られ、その収集品をもとに36年、東京根岸(ねぎし)に書道博物館を開設した。昭和18年6月6日没。歴史画を得意とし、代表作に『賺蘭亭図(らんていをあざむくのず)』『盧生(ろせい)の夢(邯鄲(かんたん))』などがある。

[小倉忠夫]

『中村不折著『学書三訣』(1970・西東書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中村不折」の意味・わかりやすい解説

中村不折
なかむらふせつ

[生]慶応2(1866).7.10. 江戸
[没]1943.6.6. 東京
洋画家,書家。本名はさく太郎,号は環山。初め南画を学び,1887年小山正太郎,浅井忠に洋画を学んだ。 94年日本新聞社に入社し新聞挿絵を担当。 1901年渡仏,アカデミー・ジュリアンに学び J.P.ローランスに師事して官学派の画風を習得。 05年帰朝後は太平洋画会会員となる。文展審査員,19年帝国美術院会員,34年太平洋美術学校校長,39年帝国芸術院会員を歴任。重厚な画風の歴史画にすぐれ,また日本画も巧みで北画風の水墨画を得意とした。書の造詣も深く六朝風を学び,能書家としても著名。また東京根岸の自宅の邸内に書道博物館を創設して,書に関する文献,参考品1万点余を展示。主要作品『建国そう業 (そうぎょう) 』 (1907,焼失) ,『賺蘭亭図 (らんていをあざむくのず) 』 (20,東京国立近代美術館) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村不折」の解説

中村不折 なかむら-ふせつ

1866-1943 明治-昭和時代前期の洋画家,書家。
慶応2年7月10日生まれ。不同舎で小山正太郎(しょうたろう)や浅井忠(ちゅう)に,フランスでローランスにまなぶ。帰国後,太平洋画会会員として活躍。太平洋美術学校長となった。帝国美術院会員。書にもすぐれ,自宅に書道博物館をつくる。昭和18年6月6日死去。78歳。江戸出身。本名は鈼太郎(さくたろう)。別号に環山,孔固亭。作品に「建国剏業」「羅漢図」など。

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367日誕生日大事典 「中村不折」の解説

中村 不折 (なかむら ふせつ)

生年月日:1866年7月10日
明治時代-昭和時代の洋画家;書家。太平洋美術学校校長
1943年没

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