日本大百科全書(ニッポニカ) 「コロンビアの古代文化」の意味・わかりやすい解説
コロンビアの古代文化
ころんびあのこだいぶんか
コロンビアの大西洋岸北部は、アメリカ大陸でもっとも古い土器の出土地として注目されている。すなわちプエルト・オルミーガはカリブ海に面した漁労民の遺跡であり、紀元前3000年の古さで、エクアドルの太平洋岸の遺跡バルディビアとともに、南アメリカ、中央アメリカの土器伝統の起源にたっている。前700年ごろになると、シヌ川の流域にモミル文化が現れ、二色彩文およびネガティブ技法による装飾をもつ土器が現れた。前100年ごろ始まるモミルⅡ期では、トウモロコシ栽培が開始されており、メソアメリカからの農耕文化の影響が推測される。それと並行して、高地では、マグダレナ川上流のサン・アグスティン地方に別の文化様式が出現し、大きな石室、マウンド(塚)を伴った、ドルメン状の巨大な石彫が多数制作された。サン・アグスティンの石彫は、人間、動物像、牙(きば)をもった神像が主題であり、中央アメリカから北アンデス地方にかけて最大の規模のものである。同じ地域のティエラデントロでは、壁面を幾何学文様で飾った地下墳墓がみつかっている。
土器伝統はいくつかの地域に分類されるが、彩文、ネガティブ文による装飾技法が発達し、その点で中央アメリカ南部、エクアドルなどの地域の土器と共通性をもつ。たとえば、太平洋岸南部のトゥマコ地方の土器、土偶は、エクアドルのトリタ、エスメラルダス地方のそれと近い特徴を示している。ナリニョ・カウカ川流域には、カリマ、キンバヤの土器スタイルがあり、双胴壺(つぼ)、橋付双注口壺、家屋象型壺などの器型は、エクアドルやペルー北部の土器とも共通性がある。ボゴタ高原のチブチャ(ムイスカ)文化は、エル・ドラド(金箔(きんぱく)の人)伝説で有名だが、ボゴタとトゥンハに祭祀(さいし)センターをもつ首長制社会に属し、インカ、アステカを除いては、ヨーロッパ人の侵入時において、もっとも発達した段階に達していた。チブチャの土器は、彩文よりもスリップ(化粧土)をかけた単色のものが多く、高坏(たかつき)、双胴壺および生硬な表現の人間象型壺などの器型が代表的である。チブチャ人は太陽信仰をもち、人身御供(ひとみごくう)も行っていた。神殿は木や粘土でつくられていたので、破壊されて残っていない。チブチャの王は一種の神聖王であり、宗教的権威によって統治していた。王の周りには神官、貴族の支配層があり、その下に農民階級と奴隷階級があった。ただし、インカ社会におけるようなしっかりとした統治機構や制度は確立されておらず、王の首長たちに及ぼす統制ももっぱら宗教的影響力によっていたので、その及ぶ範囲も限定されており、したがってスペイン人の侵入とともに、チブチャ社会は崩壊して、成層社会の構造を失った。
チブチャをはじめとして、コロンビアの諸地方には、黄金製品が多い。カリマ地方の打ち延ばし技法による胸当て、冠、仮面や、キンバヤ地方の鋳造によるフラスコ型容器、チブチャのトゥンホとよばれる様式化された人像などのほか、タイローナ地方のワニ神のペンダント、シヌー地方の網状の鼻飾り、トリマ地方の翼ある神像のペンダント、ポパヤン地方の頭飾りをつけた人像、ダリエン地方の極度に様式化された人像など、それぞれ奇抜な意匠に富む。コロンビアの金工術は中央アメリカに伝わり、またその金製品は、交易によってメキシコ、ユカタン半島のマヤ地帯まで伝わったことがわかっている。
[増田義郎]