サイイドサイード(英語表記)Sayyid Sa`īd

改訂新版 世界大百科事典 「サイイドサイード」の意味・わかりやすい解説

サイイド・サイード
Sayyid Sa`īd
生没年:1791ころ-1856

アラビア半島南東端のマスカットオマーン領主イマーム)で,以前から交易によって関係の深かった東アフリカのインド洋沿岸を重視し,ザンジバル島を根拠地として沿岸貿易を支配しようとした。1840年には本拠をマスカットよりザンジバル島に移し,ヨーロッパ諸国もサイードによる東アフリカ沿岸部支配を認めて領事館をザンジバルに開いた。サイードは財政を関税に頼っていたため,アラブ商人に対し,アフリカ内陸部に大規模なキャラバン隊商)を送って輸入商品を売り,象牙や奴隷を手に入れてくることを奨励した。軟質で加工しやすい東アフリカの象牙はこのころ最大の輸出品であり,また奴隷は当時フランスがモーリシャス島および周辺諸島に開いたサトウキビプランテーション,さらにはサイードがザンジバルに導入したチョウジのプランテーションでの労働力として重要であった。キャラバン通商発展の結果,東アフリカ内陸部はインド洋の通商圏に組み込まれるようになり,通商路に沿ってイスラムが浸透し,沿岸地方の言語であったスワヒリ語の使用が内陸にも広がった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サイイドサイード」の解説

サイイド・サイード
Sayyid Sa‘īd

1791頃~1856(在位1806頃~56)

アラビア半島東南端のオマーンブー・サイード朝スルタン。インド洋交易における東アフリカ海岸(スワヒリ地域)の重要性に着目し,1820年代に現在のソマリアモガディシュからタンザニアモザンビーク国境のデルガド岬に至る帯状の沿岸部を勢力圏に収めた。30年代以降活動の拠点を本国のマスカットからザンジバルに移転。象牙などの内陸部長距離交易およびクローブ(丁子(ちょうじ))のプランテーション経営を奨励した。

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世界大百科事典(旧版)内のサイイドサイードの言及

【ザンジバル】より

…オマーンからモンバサに派遣された太守ムハンマド・アルマズルイは,この勢いをかって18世紀半ばには沿岸部のかなり広い地域を支配下に収めた。19世紀に入って,マスカット・オマーンの領主(イマーム)であるサイイド・サイードが,何度かザンジバルに遠征し,マズルイの勢力を破って1828年,ザンジバルを首都に,モガディシュからデルガド岬に至る沿岸部をおさえる国をつくりあげた。英明なサイードはザンジバルにチョウジのプランテーションを開き,30年代後半には世界の産額の80%を占めるまでになった。…

※「サイイドサイード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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