今和治郎の「新版大東京案内‐序曲」(一九二九)に「かかる現象を称してわれわれは単一巨大都市から、衛星付巨大都市への趨向といふ」とある。
大都市圏にあって、母市の機能の一部を分担する都市。地球を回る月のような関係にあることから、衛星都市とよぶ。中心の大都市との間に、日常的な産業・社会活動の交流が行われ、通勤・通学、業務などの関係が濃い。単なる住宅地区、工場地区ではなく、都市としての中心性をもち、行政区画としても独立し、形態的にも中心都市から分離していることが本来の衛星都市の要件である。大ロンドンのニュータウンは、中心都市であるロンドン(東京区部にあたる)から緑地帯(グリーンベルト)によって隔てられた外側に配置され、住民の就業場所を提供し、近隣居住区を整備し、質の高い生活を約束している。ここは夜間に通勤者が眠るためだけに帰る宿舎(ドーミトリー)、日本流にいうベッドタウン(住宅都市)ではない。武蔵野(むさしの)市や豊中(とよなか)市は、それぞれ東京あるいは大阪の住宅地区として整えられているが、衛星都市としての独立性に乏しい。
[木内信藏・菅野峰明]
大都市の周辺に独立して発達した小都市が、大都市圏に取り込まれて通勤者を中心都市に送り出す住宅都市となったり、あるいは中心都市の工場、卸売り、港湾などの機能が新しい立地を求めて大都市の周辺に計画されて衛星都市となる場合がある。また、農村の田野を開いて新たに建設される田園都市、あるいはニュータウンもある。
イギリスの田園都市garden cityは、E・ハワード(イギリス)の『明日の田園都市』に書かれた理想を求めて実現したロンドン近郊のレッチワース、ウェリン(ウェルウイン)を引き継ぎ発展させたものである。最初の目標は、都市と農村の調和、自由と協同の社会であって、工場に働くかたわら農園を耕す職住一体の生活であった。第二次世界大戦後にニュータウンとして制度上整えて建設が進み、ロンドン周辺に8市、イギリス各地に20市が1970年初めまでに成立した。各市の人口は、完成時1万ないし10万が多く、最大26万を超えなかった。しかし、限られた数のニュータウンでは、大ロンドン圏への人口の流入は処理できず、既存の都市を整備拡張して対処することとなった。
ニュータウンはフィンランドのタピオラをはじめとして、各国にも計画が普及していった。しかし、それらの目標や形状はいろいろである。たとえば、東京の多摩ニュータウン、大阪の千里(せんり)ニュータウンは、10万を超える規模をもち、中心都市への通勤住宅地となっており、イギリスのニュータウンとは性質が異なっている。筑波(つくば)研究学園都市は首都の過密を分散するために、林野を開いてつくられたユニークなものである。それらに対して、東京周辺の八王子市、大宮市(2001年に浦和市、与野市と合併してさいたま市となる)、千葉市、大阪周辺の奈良市、高槻(たかつき)市などは、既存の城下町、行政中心地、地方経済の中心都市などが郊外化の波を受けて衛星都市となった例である。しかし、大都市の拡大発展に伴って、大都市の機能の一部が外縁部に押しやられると、大都市と距離が近い衛星都市はしだいに結び付きが強くなり、その結果、衛星都市の独自性が薄まる。
[木内信藏・菅野峰明]
衛星都市は、健康な住居、よりよい労働条件、高い文化水準などを満足させる新しい都市である。しかし、その成長の過程で種々な問題も出てきている。第一は宅地化の進展による自然環境の破壊であり、第二は地価の高騰から住宅地の立地や質が保たれがたいこと、第三は人口の増加、社会構成の変化に対して福祉・教育などの対応の遅れがあること、第四は人口密度の増加、産業活動による社会環境の悪化が進むことである。衛星都市に多くの投資をするか、中心都市を再開発するかは選択を迫られる課題である。
[木内信藏・菅野峰明]
大都市(母市)の周辺に位置していて,母市の機能の一部を分担している都市。職場への通勤や買物などを通じて,日常的に母市とのつながりが強く,母市のもつ都市圏構造の中に組み込まれている。大部分は住宅地の供給をおもな機能とした住宅衛星都市であって,都市としての独立性の弱い中小都市が多い。このため,行政上は別の組織体であるにせよ,あくまでも拡大された母市の一部とする研究者も少なくない。衛星都市という名称は,大都市から周辺に工場を移転させ,あわせて人口分散を図れと説いたG.R.テーラーによって,1915年に初めて用いられたものであるが,衛星都市の構想そのものは,1898年にE.ハワードが提唱した田園都市運動に由来していて,1903年にロンドン郊外に建設されたレッチワースや,これに続くウェルウィン(1919建設)はその代表的な例である。第2次大戦後はニュータウン計画となって受け継がれ,クローリーやハーローなどをつくった大ロンドン計画,パリ計画におけるパルリ・ドゥParly IIの建設などとなってあらわれている。ただ,田園都市では,日常生活は都市のなかで完結し,母市との間に交通流を生じないように計画・開発されたのに対して,戦後のニュータウン計画によって建設された都市では,交通機関の発展もあって,母市への通勤者が居住していることが多く,いわゆる衛星都市となっているのが実状である。
日本の場合には,むしろ自然発生的で,既存の集落や都市が母市の都市化の影響を受けて,受動的に変質して衛星都市となった事例がほとんどで,武蔵野,三鷹,豊中,芦屋などのように農村から一挙に都市化が進んだ場合と,松戸,浦和,枚方などのように古くから地方都市として発達していたものが変質した場合とがある。城下町・宿場町起源で人口5万~6万の小工業都市であった高槻が,昭和30年代後半の過度ともいえる住宅地開発にともなって,36万(1989)に人口を急増させ,大阪の住宅衛星都市に変質したのは,典型的な例といえる。また,中には少数例にすぎないが,国立(くにたち)のような学園立地,市原のように工業立地によって衛星都市になった場合もみられる。
→田園都市 →ニュータウン
執筆者:鈴木 富志郎
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…柳田国男の《朝日新聞論説集》(1924‐30)や《明治大正史世相篇》(1930)には,それらについての優れた批判が見られる。第2次大戦後におけるより大規模な人口の都市集中は,大都市周辺に多数の小都市を生み出したが,これらは〈衛星都市〉と呼ばれ,それを包括する地域を〈大都市圏〉としてとらえるようになった。田園都市【大河 直躬】。…
…ハワードの田園都市は世界各国に大きな影響を与え,田園都市に類するもの,あるいは田園郊外garden suburbsが各地に建設された。またこの発想の展開によって衛星都市satellite citiesの概念が登場し,第2次世界大戦後,イギリス政府によるニュータウン政策に引き継がれた。 ハワードの田園都市とならんで,後世に大きな影響を与えたものとして,ル・コルビュジエの理想都市があげられる。…
※「衛星都市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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