オーストリアの小説家。ガリツィアのリボフ(現、ウクライナ領リビウ)生まれ。プラハとグラーツの大学で歴史学を学ぶ。代表作『毛皮を着たビーナス』(1871)によって一躍文名を高めた。青年貴族クジェムスキーが自らの生殺与奪の権をゆだねる旨の契約書を貴婦人ワンダと交わし、ワンダとの間に美男の「ギリシア人」なる第三者が介入してくるや、クジェムスキーの倒錯した快楽と苦痛のアイロニカルな戯れがひときわ高まる、という愛の冒険物語である。マゾッホは実生活でもコトウィッツ夫人や女優F・ピストールらとの恋愛をはじめ、お針娘A・リューメリンに貴婦人教育を施したうえでワンダ・マゾッホを名のらせて結婚し、「ギリシア人」に相当する男たちを2人の間に呼び込むなど、小説の事件そのままの現実化に打ち込んだ。死後その性的奇行が性心理学者の注目するところとなり、「マゾヒズム」と命名された。
[種村季弘]
『種村季弘訳『毛皮を着たヴィーナス』(河出文庫)』▽『種村季弘著『ザッヘル=マゾッホの世界』(1984・筑摩書房)』▽『ジル・ドゥルーズ著、蓮實重彦訳『マゾッホとサド』(1973・晶文社)』
オーストリアの小説家。オーストリア・ハンガリー二重帝国下のガリツィアのレンベルク(現,ウクライナ領リボフ)に生まれ,ヘッセンのリントハイムに没した。プラハとグラーツの大学で歴史学を学び,弱冠20歳でグラーツ大学の歴史学講師として立ったが,まもなくアカデミックな経歴を放棄して作家稼業に専心。主として故郷ガリツィアの農民やユダヤ人の生態をテーマに数々の物語を書く。代表作《毛皮を着たビーナス》(1870)は,〈ギリシア人〉と称する美男に恋人ワンダを奪われながら,2人に下男として仕える苦痛に快楽を覚える青年S.クジエムスキーの性的偏倚(へんい)を描いたもの。実生活では人妻A.コトウィッツや女優F.ピストール等との情事の後に,グラーツの貧しいお針子A.リューメリンと遭遇して結婚,彼女に自作の女主人公の名にちなんでワンダ・マゾッホを名のらせ,小説の筋書どおりの姦通を強要する奇行にふけった。ために死後,その作品傾向並びに性的奇行が,〈サディズム〉のサド侯爵とともに性心理学者クラフト・エービングの注目するところとなり,〈マゾヒズム〉の定義の下に典型化された。
執筆者:種村 季弘
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…ビアズリーが繊細な線描によって,あの倒錯的なエロティシズムを表現していた時代,ロンドンには何百軒という淫売屋が営業していたという。オーストリアのザッヘル・マゾッホが,のちにマゾヒズムと呼ばれるようになる倒錯を描いて,受苦の歓びに初めて意識的に表現をあたえたのも19世紀末である。よかれあしかれ20世紀はフロイトの世紀であり,そのリビドー学説や抑圧の理論によって,この時代のエロティシズムは大きく左右された。…
…狭義には,相手(ときには自分自身)から身体的・精神的な苦痛や屈辱を被ることによって性的快楽を得る性倒錯。マゾヒズムという名は,好んでこのような性的行為を描いたオーストリアの作家ザッヘル・マゾッホの名にちなんで,精神科医クラフト・エービングにより与えられたものである(1890)。マゾヒズムの心理機制は,サディズムが反転して自己に向いたもの,サディスティックな相手への同一視,罰や苦痛を経験することによる快楽を伴った罪意識の軽減,本来権威的な両親像をなだめるためにとられた従順な役割の性愛化,〈死の本能〉の顕現などが考えられている。…
※「ザッヘルマゾッホ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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